坂本勇人の母・松村輝美のまとめ!死因はガンで生前は母子家庭で家族を支える

巨人の主将であり、日本を代表するショートとして長く活躍してきた坂本勇人選手。

そんな坂本勇人選手は早くに母親を亡くされているという辛い過去があります。

今回は、そんな坂本勇人選手の母親について詳しくご紹介したいと思います。

目次

坂本勇人の母親は松村輝美で2007年に亡くなる

2007年に小腸ガンで亡くなる

坂本勇人選手の母親である松村輝美さんは入団1年目の2007年に小腸ガンのためこの世を去っています。

松村輝美さんは鳥取出身で地元でも有名な背の高い美人だったようで、ベンツで送り迎えをするほど豪快な性格だったのだとか。

途中でエルグランドという大人数用の車に変え、他のチームメイトの送り迎えもするようになったんだそうです。

松村輝美さんの病気が発覚したのはちょうどドラフト会議で坂本勇人選手が外れ1位指名で巨人への入団が決まった頃。その頃に末期の小腸癌で余命数ヶ月と宣告されたのです。

そして、2007年6月19日のシーズンが開幕した2ヶ月後に松村輝美さんは坂本勇人選手のデビューを見ることなくこの世を去ります。

母親のお葬式では、人前で涙を見せることなくただ涙を堪えていたそうで、この時の無念さが後の活躍への原動力となったことでしょう。

性格はやんちゃだったけど、人の気持ちがすごく読める男だと思ってる。お母さんの葬式に行った時、勇人は強いと感じた。俺は泣いていた。けど勇人の顔見たら頬の辺りがひくひくと動いていたけど、涙は出ていなかった。仲間がいっぱい来ていて必死にこらえていた。友人たちを悲しませないように談笑していたんやろな。人に絶対弱みを見せないのは昔からやな。

スポーツ報知より引用

母子家庭で子供を育てる

坂本勇人さんの母親は「松村輝美」さんと表記されている理由は実は生前に「松村輝美」さんと父親である坂本喜代三さんと離婚しています。

離婚の理由は、父親の坂本喜代三さんが米シアトルで牧場経営に携わっていたため、年に1度か2度帰国する生活をしていた時期もあったそうで、家族で一緒にいる時間がなくすれ違ったのでしょうね。

そして、母子家庭として子供3人を育てています。

気になる苗字についてですが坂本勇人選手は両親が離婚したといってもほとんど母親の松村輝美さんに育てられたようなものかと思いますが、父親の『坂本姓』をそのまま使っています。

恐らく、当時はまだ学生だったので、いきなり苗字を変えると不都合が多かったのでそのままの苗字を使い続けたのでしょうね。

坂本勇人の母親・松村輝美に関するエピソード

母親の勘違いが「日本一の遊撃手」に?

坂本勇人選手の兄は右利きで、一足早く同じ少年野球チームで野球をしていました。

坂本勇人選手も満を辞して小学生になり少年野球チームに入ることになったのですが、その兄がグラブを新調した時に「チームに入ったら新しいのん、買うたるから」

そう言って母親右利き用のお古のグラブを坂本選手に与えたそう。

しかし、母親が「そういえば左利きやったっけ?」と気づいた時には坂本勇人選手はすでに右投げでボールを投げていたそうです。

もし、母親がしっかりと左投げグローブを買ってあげていたら、ショートを守ることはなかったですし、そう考えるとこの勘違いはかなり運命を左右したと言っても過言ではないでしょう。

母親の「助言」が野球選手として飛躍のヒントに?

坂本勇人選手といえば、その「天性の内角打ち」が代名詞でもありますが、その理由には実は「左利き」であることが関係しています。

そう、利き腕が左ゆえ、内角球に対しうまく腕をたたみ、スイングをリードすることができるのですが、そもそも「右打者」になった理由は母親強く影響しています。

また、坂本勇人選手は楽天の田中将大投手と小学校の同級生で同じ少年野球チームだったことは有名な話ですが、最初はバッティングに関しては最初右打ちでスタートしていました。

しかし、監督の指導で小学4年生の時に両打ちに変更しますが、田中将大選手の球を左打ちでもなかなか上手く打てなかった坂本勇人選手に

「左がダメなら右でしてみたら?落ち込んでたってしょうがないでしょ。やるだけやってダメなら次の方法を考えたらいいじゃない」

とアドバイス。

そして、まーくんとの対決し結果、母が言った通りに坂本勇人選手が勝ち小学6年になってから両打ちから右打ちに専念するようになったそうです。

一番、小学生のころから応援してくれたのは母親なので。

サンスポより引用

坂本勇人選手もこう語るように、母親が一番の応援者だったようですね。

母親の前でホームラン

2007年5月12日、プロ入り入団後すぐの対北海道日本ハムファイターズ戦のファームの試合に、坂本選手は闘病中の母を招待しました。

実は、この時には母親のガンはかなり進行しており、坂本勇人選手も「多分最後になるだろうなっていうのは聞いてたんで」こう語るように、恐らくこれが母親に自分の野球のする姿を見せれる最後の機会。

そんな試合で坂本勇人選手は初球を振り抜き見事ホームランを打ち母親に最後の勇姿を見せることができました。

母の命日にすること

そして、そんな母親・輝美さんの命日には『LETTER〜おかんに贈る音の手紙』という毎年自身のオリジナルの登場曲で登場します。

また、母の日には母親についてこのように語る坂本勇人選手。

全国の子供たちには、いつも頑張ってくれているお母さんに照れくさいかもしれないけど、ありがとう、って気持ちを伝えてほしい。母の日をきっかけに感謝すること、そして母の大切さを感じてほしい

Yahooニュースより引用

早くに母親を亡くし、「母親の大切さ」を誰よりも知っている坂本勇人さんが言うからこそ重みのある言葉ですよね。

坂本勇人の母親の家族について

父親・坂本喜代三

こちらが坂本勇人選手の父親である坂本喜代三さん。

詳しい年齢は公開されていませんが2022年現在60歳前後ではないでしょうか。

先ほどご紹介した通り、母親の輝美さんとは離婚しており、米シアトルで牧場経営に携わっていたため、日本には年に1,2回しか帰らない日々を過ごしていたようです。

そんな父親ですが、坂本勇人選手の大ファンだそうで、年間の試合は9割8分観ているそう。

2000本安打を打った際にはスポーツ報知に手記が送られており、このような姿を見ると、離婚後も良好な関係が続いていたようですね。

勇人、よう頑張ったな。一生懸命に練習しない人間なら、ここまで来られなかったやろうな。

 勇人の試合は入団してから9割8分、テレビで見ています。仕事は午後6時までに終わらせて帰り、見られないときは録画。必ず1試合全て見ます。2軍時代もDVDに残しているので、かなりの量。2軍で初本塁打を打った(2007年の)楽天戦がお気に入りです。

 初安打は、よく覚えています。2007年9月6日の中日戦。試合最後に代打で出てきて「おぉ!」と。よく当てて振り抜いた。まさか、ここまでの選手になるなんて、想像もしていませんでした。

 私は米シアトルで牧場経営に携わっていたため、年に1度か2度帰国する生活をしていた時期もあり、小さい頃の勇人と野球をした記憶はほとんどありません。こっちは素人で、あっちはプロ。助言なんて、めっそうもない。

サンスポより引用

3兄弟について

坂本勇人さんは3兄弟で、名前は以下の通り

長男:坂本勇太 6歳年上

次男:坂本勇人 

三男:坂本勇斗 3歳年下

3兄弟全員『勇』が付くようですね。

長男 坂本勇太

こちらは兄の坂本勇太さん。

目元とかがそっくりですね!お兄さんはすでに子供がいるようで、甥っ子を可愛がってあげているようですね。

また、「右投げ」である坂本勇太さんのお古のグローブを使ったことで、坂本勇人さんが「右投げ」として野球を始めました。

今でも調子を落とすと、野球経験者であるラインやメールで兄の坂本勇太さんにアドバイスをもらっているそうで、かなりの実力者だったことが伺えます。

確かに、天才アスリートの兄って実は学生時代は本人よりすごかったみたいな話かなり多いですよね。

三男 坂本勇斗

2016年にグアムのキャンプに同行していた3歳年下の弟の坂本勇斗さん。

テレビで登場し話題にもなりました。

大阪府内の高校を卒業後、解体業などに従事していたという坂本勇斗さん。

同じく野球経験者であり、兄の坂本勇人選手に頼まれ、2013年に上京して運転手兼個人マネジャーになり、送り迎えや単身暮らしの手伝いから、オフの自主トレ相手まで、あらゆる面で支えているようです。

面倒見の良い兄ですし、兄にここまで任されているのも信頼されている証ですよね。

坂本勇人の母親・松村輝美のまとめ

早くに母親を亡くした坂本勇人選手。

しかし、その悲しみと相反するように早くから巨人の主力として活躍し続けてきた坂本勇人選手。

この母親を亡くした悲しみはきっと野球の『原動力』としてなったことでしょう。これからも、引退するまで天国の母親に活躍するする姿を見せ続けてあげてください!

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