昭和の大人気女優の吉永小百合さん。
お年を召された今もなお漂うその色気や美しさ。そんな姿を見て、その若い頃がすごく気になりますよね。
今回は、そんな吉永小百合さんの若い頃をどこよりも詳しくまとめてみました!
吉永小百合のプロフィール
本名:岡田 小百合(おかだ さゆり)
生年月日: 1945年3月13日(2022年現在77歳)
血液型:A型
出身地:東京都渋谷区
学歴:早稲田大学第二文学部西洋史学専修 卒業
職業: 女優・歌手・ナレーター
【写真】吉永小百合の若い頃(昔)が超美人!
こちらがデビュー当時の15歳の時の吉永小百合さん。
び…..美人すぎる!15歳でこの完成度・・・
元女優の藤田弓子さんがオーディションを受けた際、自信満々で受けたところ「世の中にこんな綺麗な人がいるんだ!」と吉永小百合さんを見て驚き急に自身が無くなったというほど。
こちらはカラー写真ですが、カラーだとさらにその美人さが伝わりますね。
アプリなどで修正がない時代にここまで写真写りが良いのは本物の美人の証拠でしょう。
”サユリスト”と呼ばれるほど熱狂的なファンを生み出す
吉永小百合さんのファンは『サユリスト』と呼ばれ、日本各地にその熱狂的なファンが存在しました。
代表的なサユリストの一人だったタレントのタモリさんは、吉永小百合さんを追いかけて早稲田大学第二文学部に入学したほどの話も残されています。
また、1964年、1968年、1969年と、年間売上実績で女性部門1位などブロマイド写真が売り切れで入手困難になるほどのブームを巻き起こしました。
若い頃は広瀬すずに似てる?
また、吉永小百合さんの若い頃は女優の「広瀬すず」さんに似ていると言われています。
確かに激似ですね….汗
広瀬すずさんのお母さんの若い頃と言っても信じてしまいそうなレベルですね。
また、武井咲さんやTWICEのサナさんに似ているという意見もありましたので検証してみます!
武井咲さんと吉永小百合さん↑
サナさんと吉永小百合さん↑
両者ともめっちゃ似てますね!
日本人の美形のスタンダードな姿が吉永小百合さんの若い頃かもしれませんね。
ちなみに、吉永小百合さんを今風にするとこうなります(笑)
韓流女性アイドルのグループとかにいそうな感じですね〜。
【写真】吉永小百合の若い頃(昔)①デビュー当時
【1959年(15歳)】映画『朝を呼ぶ口笛』でデビュー
1959年に映画『朝を呼ぶ口笛』でデビュー。
当時吉永小百合さんは15歳の中学3年生でした。
映画は1960年代半ばから、テレビに大衆娯楽の主役を奪われるようになって映画産業の凋落が始まりました。
吉永小百合は、その絶頂期の1959年に、わずか14歳でスクリーンデビューを果たしている。
【1960年(16歳)】映画『ガラスの中の少女』初主演作
1960年の16歳の時に『ガラスの中の少女』で初主演を果たします。
中学生の同級生同士が吉永小百合さん演じる女子高生となり、就職した男の子と出会い、恋に落ちる物語。
この時、15歳の吉永小百合さんは、まさに「純白の天使」そのもの。
そして、この作品から『吉永小百合』という日活の清純派女優を語る上では欠かすことのできない人物でもある、俳優の浜田光夫さんとコンビを組むことになります。
この浜田光夫さんは吉永小百合さんの純愛系映画の「お相手役」として、数々の作品に共演していくことになります。
【1962年(17歳)】映画『キューポラのある街』で大ブレイク
吉永小百合さんが大ブレイクした映画が17歳の時に出演した映画『キューポラのある街』
吉永小百合さんの代表作とも言えます。
この映画にヒロイン役で出演し、従来のアクション路線がマンネリ化していた日活にとって、浜田光夫さん・吉永さゆりさんコンビの『純愛路線』は多くのファンの支持を集め爆発的人気となりました。
浜田・吉永コンビの映画作品は最盛期に1ヶ月に1本のペースで封切られ、二人は1年で顔を合わせない日は数日だったというほどの忙しさでした。
「泥だらけの純情」より。吉永小百合さんと浜田さん。
「愛と死をみつめて」より。吉永小百合さんと浜田さん。
この浜田光夫さんと吉永小百合さんとのコンビ映画はなんと44作品にのぼります。
吉永小百合さんの出演映画は全部で120作品ほどなので、3分の1はこの浜田光夫さんと共演していたことになりますね。
吉永小百合さんはこの浜田光夫とのコンビ作を中心に数々の青春映画に出演し国民的スターになります。
【1962年(17歳)】歌手デビュー&紅白歌合戦にも出場
また、この年には歌手デビューも果たし、20万枚のヒットを飛ばします。
橋幸夫とのデュエットで歌唱した『いつでも夢を』は30万枚の大ヒットとなりました。
また、この曲は「第4回日本レコード大賞」を受賞するほどでまさに国民を代表する歌手にもなります。
1962年〜1966年まで5年連続で『紅白歌合戦』に出場。
歌手として当時17歳〜21歳で5年連続で紅白に出場する女優なんて今じゃ絶対いないですよね・・・汗
女優としてだけではなく歌手としても幅広い活躍を広げる吉永小百合さんの才能にも世間は大注目しました。
【写真】吉永小百合の若い頃(昔)②「日活」の看板女優としての全盛期
【1963年(18歳)】映画『いつでも夢を』(当時の貴重な映像)
こちらは1963年の18歳の時に出演した映画『いつでも夢を』
↑当時の貴重な映像が見れます
映像で見るとさらに吉永小百合さんが「清純派女優」として今もなお語り継がれる伝説となっている理由が分かりますね!
【1963年(18歳)】映画『青い山脈』
1963年の18歳の時に出演した映画『愛と死の記録』
当時、学校ものの作品においてどちらかというと「まじめ」な学級委員長タイプを演じることが多かった吉永小百合さん。
特にこの作品が吉永小百合さんの「優等生キャラ」というイメージ形成に大きく寄与しました。
【1964年(19歳)】映画『愛と死をみつめて』
1964年の19歳の時に出演した映画『愛と死の記録』
吉永小百合が不治の病に冒される薄幸のヒロインに扮して入魂の演技を見せたこの純愛映画は大ヒットを記録しました。
【1966年(21歳)】映画『愛と死の記録』
1966年に21歳の時に出演した映画『愛と死の記録』
当時無名だった渡哲也さんと共演しています。
実はこの共演した渡哲也とは結婚直前までいったことは有名な話。両親に打ち明けたが大反対され、泣く泣く別れることになりました。
「小百合は両親に結婚する意思を伝えていましたが、芸能活動に何かと口出ししていた両親は、『あんなにモテる男じゃ苦労する』と、なかば無理矢理引き離そうとしました」
全盛期は10代?不遇の女優時代
吉永小百合さんはそのイメージから女優として歳を重ねるごとに着実にヒット作を生み出していったイメージですが、女優としての全盛期は10代〜20代前半だといえます。
120本もの作品に出ていながら、実はいまだに彼女の代表作は『キューポラのある街』しかありません(もう一本挙げるとすれば36歳〜40歳で出演した『夢千代日記』)
この原因として「清純派少女役」を抜けきれなかったこと。
子役出身の俳優や女優にありがちな、娘役から大人の女性への脱皮がスムーズに行かなかったことで、20代前半以降はそのギャップに苦労した過去があります。
そう、自らの売りである「清純派少女」というイメージが歳を追うごとに自身の首を締める形になってしまいました。
なので、女性として最も輝ける22~26あたりは、女優としては吉永小百合さんにとって不遇の時期だったことでしょう。
【写真】吉永小百合の若い頃(昔)③「清純派少女」からの脱却
【1972年(27歳)】映画『男はつらいよ 柴又慕情』
1972年(27歳)に出演した「男はつらいよ 柴又慕情」
この作品ではマドンナ役で出演し、着実の大人の女優としての認知が高まってきます。
【1973年(28歳)】映画『戦争と人間 完結篇』
1975年(28歳)に出演した戦争映画『戦争と人間 完結篇』
この映画ではベッドシーンを演じ、「お嬢様女優」から脱皮を図ります。
【1975年(30歳)】映画『青春の門』
1975年(30歳)に出演した映画『青春の門』
激しい”濡れ場”を披露するなど、この『青春の門』を皮切りに吉永小百合さんは「清純なお嬢さん」を完全に脱する演技を披露しました。
【写真】吉永小百合の若い頃(昔)③30代以降〜
【 1981年(36歳)】テレビ番組『徹子の部屋』に出演
当時36歳の『徹子の部屋』に出演した吉永小百合さん。もはや30代の方が美人です(笑)
吉永小百合さんのルックスは歳を取れば取る色気が出てくる顔だと思うのは私だけでしょうか?
その美しさに品性、優しさ、知性などが備わりますます魅力的な女性へと変貌していきますね。
【 1981年〜1984年(36~40歳)】ドラマ『夢千代日記』
「清純派女優時代」以外の吉永小百合さんの作品の中で最も代表作と言って良いのがこの1981年〜1984年に放送されたNHKドラマの『夢千代日記』ではないでしょうか。
この頃には吉永小百合さんと言えば「和服が似合う美人」、そんな現在の吉永小百合さんにつながる「第二のイメージ」が定着してきました。
【 1985年(40歳)】映画『おはん』
また、1985年の40歳の時に出演した『おはん』では日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」を初受賞し、女優としても再ブレイクを果たします。
年齢と共に「清純派女優」から「和服の似合う美人女優」と変貌し、あらゆる方面から自分の魅力を世の中のファンに見せていることも多くの人を魅了する理由の一つでしょうね。
吉永さゆりの若い頃(昔)のまとめ
吉永小百合が50代以上の人の中で今もなお偉大な国民的女優として顕在する理由。
それは吉永小百合さんが「永遠の清純派」こう言われるように、若い頃に演じた「清純派女優」の面影が今もなお、記憶に刻まれているからでしょう。
青春時代が色あせず、人々の記憶に残っているのと同じように、若かりし頃の吉永小百合さんのその存在はは今もなお、多くの人の心に残っているのでしょうね。
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