アラフィフになっても未だ若々しいそのルックスで人気の女優・石田ゆり子さん。
歳をとっても未だ美しいそんな石田ゆり子さんレベルなら「若い頃」ってどれくらい綺麗だったんだろう?ってつい気になりますよね。
今回は、そんな石田ゆり子さんの昔の若い頃について詳しくご紹介したいと思います。
【画像】石田ゆり子の若い頃(昔)が超可愛い!
こちらが石田ゆり子さんの若い頃の昔の写真です。
め….めちゃくちゃきれいですよね!
石田ゆり子さんの若い頃はロングヘアーで当時から大人びた印象ですね!
20歳ですでに完成されたその美しさ。今も綺麗ですが若い頃はまた別の美しさがありますね!
【画像】石田ゆり子の若い頃(昔)を時系列で紹介①学生時代(10代)
中学時代
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石田ゆり子さんは、中学時代の3年間は父の仕事の都合で台湾の台北市に住んでいたようで、妹のひかりさんと共に台湾のナショナルチームに所属していました。
9歳から水泳を始め、小学生の時に水泳(平泳ぎ)でジュニアオリンピックに出場し第8位の記録を持つなど、その選手としての実力はかなりのものだったそう。
中学生の当時、水泳選手だったことから、短パンとTシャツ姿。髪の毛も男の子みたいなショートカットでかなりボーイッシュな容姿をしていました
16歳で芸能界にスカウトされるまでの7年間、その日常は、一日平均1万メートル。10キロの距離を、黙々と、ひたすら泳ぐ毎日だったようです。
高校時代
高校から日本に帰国した石田ゆり子さん。
いわゆる『帰国子女』という形で東京都立桜町高等学校に入学。
しかし、高校入学あたりにスカウトされ、芸能活動を始めたのもちょうどこの頃。
途中で定時制の東京都立青山高等学校に転向しました。
高校時代の石田ゆり子さんは、素朴ながら際立つオーラをすごく感じますよね。
また、実は「水泳選手になりたいと思ったことは一切なかった」
こんなことを語る石田ゆり子さんは高校生になったら水泳はやめて、大学は絵を描くことが好きなので美大に進学しようとしていたそうで、当時の心境をこのように語っています。
本当にトレーニングがきつかった。毎日、学校とスイミングプールの往復だけで、一日が終わっていくんです。妹と、『つらいね、休みたいね。でも今日休んだら、明日もっとつらくなる。やっぱり今日行くしかないんだよね』って毎日話してました。日本に帰っても水泳中心の日々が続く中で、芸能界にスカウトされたときは、『これでやっと陸に上がれるチャンスが来た!』って(笑)
しかし、この芸能界入りが石田ゆり子さんにとって水泳を辞めることができる大きなきっかけだったようです。
大学時代
大学は東京都駒込にある女子栄養大学短期大学部卒業しています。
大学在学中にはすでに初ドラマに出演するなど、学業と並行しての多忙を極めた中での大学生活だったことでしょうね。
【画像】石田ゆり子の若い頃(昔)を時系列で紹介②デビュー当時(10代)
石田ゆり子さんが芸能界入りしたのは高校1年生の15歳の春。スカウトに自由が丘の亀屋万年堂の真ん前で声を掛けられたのがきっかけだったそう。
1985年(16歳)アスリート系水着モデルとしてデビュー
16歳の頃にこれまでの水泳経歴を生かしてグラビアモデルのようなお仕事が石田ゆり子さんの芸能界での初めてのお仕事だったようです。
やはり、水泳をしていただけにかなり肩幅もがっしりしています。
多くの人は石田ゆり子さんに水着のイメージがあまりなかったと思いますが、もともとスイマーなこともあり、水着姿がすごく似合いますね!
事務所は最初、元水泳選手であったことから今で言う稲村亜美さんみたいなアスリート系のアイドルで売り出そうとしていたのではないでしょうか。
1987年(18歳)全日空の沖縄キャンペーンガール
1987年に全日空の沖縄キャンペーンガールに選ばれてテレビCMやポスターなどに登場。
沖縄の海と、水泳で鍛えた肉体美がイメージとぴったりですよね!
この頃はまだ体育会系のアスリート系モデルなイメージで今の石田ゆり子さんのイメージとは全く違いますよね!
当時の10代の水着モデル時代の映像が残っていました。
透き通るような声で、もしかしたらアイドルとしても活躍できたことでしょうね!
1988年(19歳)ドラマ『海の群星』※ドラマデビュー作
ドラマのデビュー作は1988年に19歳で出演したNHKドラマの『海の群星』
緒形拳さんと共演し話題になりましたが、この石田ゆり子さんこそが元祖『あまちゃん」だったとは驚き。
やはり水泳モデルということもあり、デビュー作は「海」にちなんだ作品。これは偶然ではなく意図した出演ではないかと思います。
1988年(19歳)映画『悲しい色やねん』※映画デビュー作
映画デビュー作は同じく1988年に19歳で出演した任侠ヤクザ映画の『悲しい色やねん』
関西弁で出演しており東京育ちの石田ゆり子さんにはかなり大変な役柄だったことでしょう。
この映画デビュー作の『悲しい色やねん』から、メイクに変化が出て一気に垢抜けた印象を受けますね。
【画像】石田ゆり子の若い頃(昔)を時系列で紹介③20代(全盛期)
1991年(22歳)101回目のプロポーズ
こちらが石田ゆり子さんが1991年の22歳の時に出演した浅野温子さんと武田鉄矢さんのW主演ドラマ『101回目のプロポーズ』
達郎(武田鉄矢)と同じ会社の受付嬢役で出演。デビュー当初のスポーティーなモデルとは打って変わって大人の色気たっぷりのお姉さんになりましたね。
石田ゆり子さんの若い頃の全盛期をあげるならば個人的にはこの頃だと思います!
1993年(24歳)ドラマ『彼女の嫌いな彼女』
満を辞して初ドラマ主演を果たしたのが1993年24歳の時に出演した『彼女の嫌いな彼女』
主人公・吉沢さつき役を演じました。
1年前のこのドラマ枠で主役デビューしたのが妹の石田ひかりさん。1年越しに女優姉妹に看板張ってもらった事になりました。
1997年(28歳)『不機嫌な果実』
1997年の28歳の時に主演で出演したドラマ『不機嫌な果実』
水越麻也子役を演じ切ない演技が話題となりました。
この頃から一気に大人びた印象を受ける石田ゆり子さん。
その後も数々の作品に出演し、90年代を代表するトレンディ女優として大ブレイクしていくことに。
1999年(30歳)『恋愛詐欺師』
1999年30歳になり出演したドラマ『恋愛詐欺師』
この頃から石田ゆり子さんのトレードマークでもあるショートヘアを初めて披露しました。
35歳以降〜
2006年(35歳)
こちらは石田ゆり子さんが35歳の頃。正直30歳以降から石田ゆり子さんのルックスに大きな変化はなく、そのままアラフィフまできています(笑)
2016年(45歳)
ん?どこか変わったことありますか?
ってぐらいの無変化ぶり(笑)
まさに『年齢不詳』の名に恥じないその長年若さを保ち続ける石田ゆり子さん。
また、石田ゆり子さんの凄いところは若い頃の全盛期にドカーンと代表作を残したわけでもありませんが、長年に渡り存在感を見せているところ。
『息の長い』女優とはまさに石田ゆり子さんのことを指すのでしょうね。
【画像】石田ゆり子の若い頃(昔)のまとめ
正直、石田ゆり子さんに関しては20代の時ですら今とあんまり変わらなくて「今と全然違う!!」みたいな驚きがあまりなかったことでしょう(笑)
むしろ、石田ゆり子さんは歳を取るごとに女性の色気が増して女性として進化しているとさえ思います。
これからもその年齢不詳の美を更新し続けていってもらいたいですね!
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