【画像】美智子さまの若い頃(昔)が綺麗すぎる!綾瀬はるか似の着物美人だった!

時代は令和に変わり上皇后として今も日本国民の尊敬の象徴として尊敬を集める美智子様。

お歳を召されてもなお色褪せないその上品な佇まいに、つい昔の姿が気になってしまいますがそんな美智子様の若い頃は一体どのような容姿だったのでしょうか?

今回はそんな美智子様の若い頃についてまとめてみました。

目次

美智子様の若い頃が綺麗すぎる!綾瀬はるか似の美人だった!

こちらが美智子様の若い頃。

めちゃくちゃ美人ですよね!

なんと言いますか、見ただけで分かるその育ちの良さがにじみ出るその「上品」な雰囲気。

どことなく女優の綾瀬はるかさんに似ていませんか??

若かりし頃の美智子上皇后の美しさは、ある世代以上の日本国民にとって、異論はないほど誰がみても「美しい」。そう言われたことでしょう。

美智子様は1934年(昭和9年)10月20日に日清製粉グループ会長の正田英三郎・正田富美子の間で生まれました。

やはり、天皇家に嫁ぐ方ということもあり、その家柄も当たり前のように良いですね。

母親の正田富美子さんもとても美人な方ですね!今の美智子様の面影がすごく感じられます。

幼少期からスポーツが得意な女の子でピアノ・絵画・料理、香道も習っていたそうです。

美智子様の若い頃(昔)を時系列でご紹介!

さて、ここからは美智子様の若い頃を時系列でご紹介していきたいと思います。

美智子の若い頃①学生時代(聖心女子大学)

1953年に聖心女子大学外国語外国文学科に入学された美智子様。

中・高時代から聖心女子に進学していた美智子様はそのままエスカレーターで大学に入学されました。

中高時代も成績はトップクラスで、明るい人柄、優秀な成績や、スポーツ万能ぶりから同級生たちからは“ミッチ”の愛称で親しまれ、聖心女子大学を首席で卒業されてます。

入学の年にはクラスの福祉委員を務め、2年生の時にはクラスの副委員長にそして4年生になると大学自治会の全学委員長「プレジデント」に選ばれていたそう。

そして、高校時代からテニスを始めたという美智子さまは、大学に進学後はテニス部にも所属。’55年10月には「関東女子新進トーナメント」で優勝。

同年の関東学生ランキングでは、4位にランクされるほどの実力の持ち主でした。

まさに「才色兼備」を絵に描いたような優秀な女学生生活を送られています。

運動神経が抜群で、どんなスポーツでもおできになるし、優秀な成績者だけが選ばれる“オーナースチューデント”にも、お名前がよく貼り出されていましたね。大学の演劇クラブでは、美智子さまは背が高いのでよく男役を演じられていましたが、低い声が出ないのでお困りになっていたことを覚えています。

<皇后の素顔>聖心女子大学同級生が語る美智子さま、学生時代のご様子はより引用

平成時代を支え、現在も上皇として天皇陛下を退位した明仁様。

この明仁様とは大学卒業の年の1957年の8月に軽井沢で行われたテニス大会で出会いました。

2人の初対面は敵同士で、明仁様とは違う男性とペアを組み、美智子様はカナダ人の十三歳の少年とペアを組んでいたそうで、準々決勝で対戦したのがきっかけでした。

明仁様は相手は女性と少年ということもあり、当然、勝てると思っていました。

しかし、いくら打っても美智子さまは粘りボールを打ち返し、しかも少年を励ましうまく生かすプレーに、調子を乱された明仁様のペアは結局負けてしまいました。

陛下にとって、この日出会った美智子様の、テニスに取り組むまっすぐな姿勢と、決してあきらめない試合ぶりは、好ましい印象として強く残ったのではないでしょうか。

そして、日清製粉の令嬢で、清楚で教養もありテニスもできる、マドンナ的存在だった美智子様に明仁様も多くの男性と同じように惹かれていくことになりました。

軽井沢で夏を過ごす同世代の若者たちの多くは、そんな美智子さんを高嶺の花として遠くから見ていたように思います。言葉を交わすことはおろか、目を合わせることさえできない、まさに当時の軽井沢では評判のマドンナだったのです。

小学館より引用

美智子の若い頃②皇太子様との婚約時

テニスの出会いをきっかけに急接近した2人。

運命の出会いから1年余りの交際ののち、翌年の1958年には美智子様と明仁様は結婚しました。

美智子様が23歳の時の結婚ということもあり、近年の皇族の中ではかなり早い方ではないでしょうか。

上の動画はその時の結婚会見の動画です。

映像からも美智子様の品の良さが滲み出ていますね。

ただ、この1958当時は「平民から妃を迎える」ということが考えられなかった時代。

いくら会社のオーナーの娘という美智子様の家柄でも当時の天皇家は旧皇族・旧華族で成り立っており、あくまでも民間の家柄出身の美智子様の結婚は旧皇族・旧華族らに強く反対されました。

今からは想像もできないかもしれませんが、それはそれは大変な騒ぎだったそう。

民間出身の女性として初めて、皇太子との「テニスコートでの自由恋愛」により結婚に至ったこと、

美智子がカトリックのミッション系大学出身者であったことなどをマスメディアが報道され、この出来事は「ミッチーブーム」と呼ばれ当時の日本中で大きな話題となりました。

また、ミッチーブームは単なる一過性のブームではなく日本において大きな変化をもたらすこととなりました。

これまで雲の上の存在であった日本人の皇室観を決定的に変えただけでなく、見合結婚が主流だった当時の日本の恋愛文化。

そんな風潮の中で「恋愛結婚」という選択肢を与える要因にもなり、日本人の恋愛の価値観に大きな影響を与えました。

美智子の若い頃③結婚後

そして、民間初のお妃という影響は日本国民の皇室観や日本国民への恋愛観だけにとどまらず、皇室にたくさんの“史上初”をもたらしました。

御所ではなく病院で出産したのも、乳人を置かず自ら親王を育てたのも皇室初。また、東宮御所にキッチンを設け、ご家族に手料理を振る舞ったのも前例がないことでした。

そんな美智子様の様子は盛んに報道され、幸せな家族像として国民の憧れの対象となっていき、ますます皇室が国民にとって身近なものとなっていったのです。

美智子様の若い頃の着物やファッションがエレガントすぎる!

着物美人でも有名

また、美智子様といえば、国内でのお出ましや海外訪問、来賓のおもてなしといったご公務の場で見られるお着物姿もよく話題になります。

そして、そんなお着物姿も若い頃から注目を集め話題になるほどでした。

 

その洗練された着こなし、そしてその佇まいはまさに「和服美人」という言葉が似合います。

 

そのお着物の着こなしは皇后の名にふさわしい日本女性の憧れの的でした。

洗練されたファッション

また、美智子様はお着物姿だけでなくファッションが素敵なことでも注目を集める存在でした。
故ダイアナ妃も受賞したニューヨークの『国際ベストドレッサー賞』を3度受賞されています。

3度目にあたる平成2年の受賞では、『インターナショナル・トレジャー(世界の服装界における国際的宝)』という最高の敬意を受けられました

 

「上品」「優雅」「気品溢れる」

これほどまでにこの言葉がこれ似合う女性はいないのでしょう。

まさに品格とエレガントさを兼ね備えた皇室にふさわしい大和撫子を象徴する美智子様。

その若い頃から異彩を放つその雰囲気はお年を召された今もなお健在です。

美智子様は若い頃から築き上げてきた皇室の在り方は今後も受け継がれていく

民間から皇室に入られて30数年。その間に3人のお子を生(な)し、庶民と同じ目線に立ち続け「開かれた皇室づくり」のために多くの改革を遂げられた美智子様。

それは、美智子様が民間出身だからこそできたことであり、国民にとって美智子様の存在はより皇室を身近なものに感じ、日本の象徴として 感じることができるきっかけにもなったことでしょう。

そんな美智子様が若い頃から皇室で築き上げてきた皇室の在り方は今後も皇室で脈々と受け継がれ、皇室を良い方向へと導いていくことでしょう。

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