【画像】紀子さまの若い頃(昔)が綺麗すぎる!学生時代からアイドル並の超美人!

度々話題になる眞子様や佳子様をはじめとする秋篠宮家。

そんな秋篠宮家を支える紀子さまですが、日本中に旋風を巻き起こし皇室ファンが増えたとも言われるほど若い頃からその美貌が度々注目されていました。

今回はそんな気になる紀子さまの若い頃をご紹介していきたいと思います。

目次

【画像】紀子さまの若い頃(昔)が綺麗すぎる!アイドル並の超美人だった!

プロフィール

名前(旧名):川嶋 紀子(かわしま きこ)

生年月日:1966年(昭和41年)9月11日

学歴:学習院女子高等科~学習院大学文学部心理学科

こちらが紀子さまの若い頃。

めちゃくちゃ美人ですよね!

昔流行ったおニャン子クラブのメンバーにいても全く遜色がないぐらいのその美貌。

秋篠宮さまとご婚約中はそのアイドル並みの人気から写真集も出されたほどです。

幼少期から際立つそのルックス

こちらは幼少期の紀子さま。

お人形さんみたいでめちゃくちゃ可愛い女の子ですね!

父親が大学教授の家庭で生まれる

紀子さまは1966年に大学教授だった故川嶋辰彦と和代さんの間で生まれました。
弟の川嶋舟さんと4人家族です。

川嶋辰彦さんは東京大学大学院獣医学卒の経済学者で後に学習院大学の名誉教授となっています。

幼少期は海外で育ち帰国子女だった

紀子さまは父親がペンシルベニア大学大学院に留学したことから、一家で渡米。6歳までアメリカ合衆国ペンシルベニア州で過ごしています。

紀子さまは6歳までアメリカで過ごした後、小学校は静岡県立中田小学校へ、そして新宿区立早稲田小学校や豊島区立目白小学校、さらには学習院初等科等編入しました。いわゆる帰国子女だったようですね。

父親が研究者ということもあり、幼少期はかなり転勤族だったようで小学校も3つも経験しています。

その後は父がオーストリアウィーンに転勤。

そのため、一家で再度日本を離れウィーンのインターナショナルスクールへ入学。そこで英語に磨きをかける一方、ドイツ語も日常会話に困らない程度にまでなりました。

幼少期から海外で過ごしたりかなり一般人では経験できないことの連続だったことでしょう。

そして、このような経験からくる紀子様の国際感覚も秋篠宮様にとっては非常に魅力的に映った点ではないでしょうか。

【画像】紀子さまの若い頃を時系列でご紹介!

さて、ここからは紀子さまの若い頃を時系列でご紹介していきましょう。

紀子さまの若い頃①学生時代(学習院女子中等科〜学習院女子高等科)

その後は日本に帰国し学習院女子中等科へ編入し、卒業後は学習院女子高等科に進みます。

中学時代には美術部に所属、十数人の仲間と一緒に週2回、静物、風景画などを熱心に描いていたそう。

スキーもオーストリア仕込みで、3年の時に山形県・蔵王で行われた学校のスキースクールでは、1人だけ上級クラスだったようです。

当時の友人は紀子さまについて「マイペース型で、周囲の人がいろいろ言っても自分のペースを崩さない。それでいて気配りも忘れず、みんなを決して不愉快にしない人だった」

このように語っており、まさに文武両道の誰しもが憧れる素敵な女性だったようです。

というのも“Always Smile”というのが川嶋家の家訓だったそうで、紀子さまがいつもニコニコしていたのもこれを聞いて納得ですね。

そして、女子高等科時代には、クラスで選ばれて厚生委員を務めます。

それに加えて、街頭に立ってハンセン病患者をはじめ恵まれない人たちへの募金を呼びかけたり、身体障害者の人たちが作った絵葉書をすすめたりする活動に取り組まれたそうです。

ここまで聞いて、かなりお嬢様のように見えますが、紀子さまの家庭は決して資産家ではなく家柄からして学者一家ではありますが「名家」とは言い難く、いわゆる「庶民」と変わりはありません。

民間から嫁ぎ話題になった義理の母親の美智子さま以上に普通の家柄の娘が天皇家に嫁いだものですから婚約時は非常に話題になりました。

婚約時に住んでいた家が学習院大学関係者が住む、学習院大学の団地づくりの「3LDK」の教職員住宅であったことから「3LDKのプリンセス」というキャッチフレーズまでつけられたほど。

その容姿と一般家庭出身という親しみやすさもあり国民から大きな支持を受け、連日川島家がワイドショーで取り上げられました。

紀子さまの若い頃②学生時代(学習院大学)

1985年に学習院大学文学部心理学科へ入学。

学生時代の友人は当時の紀子さまのことをこう語っています。

「親しみがあってみんなに優しい」「天真らんまんで、一緒にいると楽しい」「とにかくいい人で、欠点が見当たらない」。大学時代の友人も、一様に紀子さんの親しみやすい人柄を語る。「顔を合わせると、遠くからでも、手を振りながら声をかけてくれる。1度話したことは覚えていて、『あの話はどうなった?』と心配してくれるなど、思いやりのある温かい人でした」と、高校友人の1人。

読売新聞より引用

当時から紀子さまはいつもニコニコして誰にでも優しくできる太陽のような女性だったようですね。

大学時代に秋篠宮さまと運命の出会い

そんな男性からも女性からも好かれる紀子さまでしたが、秋篠宮さまと運命の出会いを果たしたのもこの頃。

当時大学1年生だった紀子さまと1年先輩の秋篠宮さまとの出会いは大学内の書店。書店の店員が紀子さまのことを「川嶋教授のお嬢様です」と紹介したことがきっかけだそう。

そんな大学に入学したばかりのフレッシュな紀子さまに、秋篠宮さまは一目惚れしてしまいます。

その美貌はすでに高校生の頃から近隣の学校の男子からも「かわいい子がいる」と評判だった紀子さま。

秋篠宮さまも例外ではなくその紀子さまの包み込むような女性らしいオーラと美貌に惹かれていくことになりました。

秋篠宮さまの猛アタックの末交際

そして、紀子さまとお近づきになりたい秋篠宮さまは高等部時代からの友人・黒田慶樹さん(のちの紀宮さまのご結婚相手)と相談して「自然文化研究会」というサークルを立ち上げます。

そして、そのサークルに後輩の紀子さまを入部させてしまうのです。そこからサークル活動を通した2人の交流がスタートしたのです。

今思えばかなり強引でしたが、そこまでしてでも紀子さまとお近づきになられたかったのでしょうね。

サークル活動を通してより親密に

このサークルの中で、紀子さまは会計係として、調査旅行の費用を集めたり宿を手配したり、屈託のない笑顔でかいがいしく動き回ったそう。

秋篠宮さまは、そんな気遣いができ、誰にでも優しくでき周りを明るくする紀子さまにますます惚れていきました。

初めのころ、遠慮して遠くにいる紀子さんに「こっちにおいで」と声をかける場面もあったそうです

こうした先輩・後輩の付き合いが、いつしか好意から愛情に変わっていったようですね。

調査旅行の時、礼宮さまはタイの「メコン」というウイスキーを半ダースほどいつも持って行き、夜は2時、3時まで仲間と歓談された。高校時代に第二外国語に中国語を選んだ紀子さんと同様、礼宮さまの大学での第二外国語も中国語。宿での語らいは中国文学の話や、お好きなナマズ類など生物学の話題が多く、そんな時、あまり飲まない紀子さんは、いつも氷入れのそばにいて、水割りを作っては宮さまやメンバーに手渡していたという。

読売新聞より引用

とはいえ、サークル内では秋篠宮さまは紀子さまに他のメンバーと同じように接し、特別親しくするといったことはなかったため2人のお付き合いに気がつかないメンバーも多かったそう。

とはいえ、当時からかなり自由奔放な交際をしていたようで普通の一般カップルと変わらない場面も度々目撃されています。

「お住まいがある赤坂御用地でテニスをされた後は、みんなで連れだって外苑のいちょう並木を歩いて、青山通りにあるレストランへ夕食をとりにいくこともあったそうです。その途中、並木の暗闇で秋篠宮さまと紀子さまが抱き合っていたところを、学友に目撃されたこともありました。ある日の夜、職員が秋篠宮さまの部屋をノックし在室を確認すると気配があり、後で遅い時間に紀子さまを送りに出られたこともあったそうですよ」

週刊女性primeより引用

紀子の若い頃③秋篠宮さまとの婚約時

30年前のご結婚の日、秋篠宮さまは25歳、紀子さまは24歳。初々しいご夫婦の誕生は国民を驚かせる明るいニュースとなりました。

何しろすべての皇族の中で、自分で結婚相手を見つけて直接プロポーズをした男性は、この秋篠宮さまが初めてだったからです。

ただ、この婚約発表は昭和天皇が1月に亡くなられた、その年の8月のことで、まだ喪中のだったこと。

しかも、学生という御身分で当時はイギリスに留学中であり年齢もまだ23歳と若かったこと。

さらには兄の浩宮さまに先駆けた結婚というのも、長幼の序を重んじる皇室において、考えられないことだったそうで、その異例づくしの婚約発表には世間で大きな波紋を呼びました。

「喪中期間での婚約発表」「兄より先の結婚」そんな賛否両論のあるこの婚約という出来事でしたが、よく言えば型破り、悪く言えば非常識ということで今でも議論されることが多いです。

ともあれ、良くも悪くもある意味古いしきたりや価値観を一層し、平成の時代の新しい皇室という価値観を作ったことには間違いありません。

また、一般家庭出身という紀子さまインパクトは世間では相当強く与えました。

それに加えて川嶋教授のどことなく浮世離れした雰囲気や喋り方に至るまで、ありとあらゆる話が俎上にのぼった。テレビは朝から晩まで、「紀子さん一家」を連日取り上げました。

その現象は“紀子さまフィーバー”とも呼ばれ、世間はその清楚で可憐な姿に打たれ、翌日には紀子さまが会見で着ていた水玉の洋服が飛ぶように売れたといわれています。

婚約発表後の大学生活でもそのフィーバーの影響は強く、婚約内定報道があった後の大学祭では、入会されていたサークルの1年生が行った手話劇を見に来られたのですが、マスコミや多くの人が殺到したそうです。

紀子さまも自ら“目立たないように変装しましょうか”と提案されたり、リヤカーに乗って隠れながら移動するという案も出たのですが、さすがに実行には移せませんでした(笑)。紀子さまをひと目見たいと来場者が押し寄せ、大学門から最寄りの『目白』駅の改札まで行列ができたことに大変驚きましたね」(手話サークル関係者)

週刊女性Primeより引用

紀子さまの若い頃④結婚後

結婚後はさらに大人っぽさが増してきた紀子さま。

美男美女のお似合い夫婦で華もありますよね。

そして、その愛嬌に加えて皇室に嫁入りすることになりますますその品格も出てきました。

25歳の時に眞子様、28歳の時に佳子様を出産

紀子さまは若い頃の25歳の時に眞子様、28歳の時に佳子様を出産しています。

最近では、2006年の39歳の時に悠仁様を出産されたことは記憶に新しいですね。

ご実家である「子どもの意思を尊重する」という自由な教育方針のもとで育てられた紀子さまはご自身の子供たちにも同じような教育方針で「自主性」を尊重した教育を行いました。

それは紀子さま自身が秋篠宮さまとの自由恋愛で早めに結婚して家庭を持ち、その在り方が国民にも受け入れられてきたからこそその思いは強かったのでしょうね。

紀子さまは若い頃から綺麗すぎる!のまとめ

知性が高く学究肌の女性に、天が二物(も三物も)を与えられた紀子さま。

ついその若い頃の美貌に目が行きがちですが、それ以上に人当たりがよく周りを明るくさせるその内面に秋篠宮様は惚れられたのでしょうね。

若い頃以上にこれからお年を召されても美智子様のように着物が似合う凛とした和風美人なられるのもすごく見てみたいですね。

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