その渋いルックスや雰囲気から独特の異彩を放つ俳優・阿部寛さん。
そんな阿部寛さんですが、60歳に近くづく今でも若々しくそのイケメンなルックスから若い頃は一体どんな感じだったんだろう?ってつい気になってしまいますよね。
今回は、そんな阿部寛さんの昔の若い頃の姿をまとめてみました。
【画像】阿部寛の若い頃(昔)が超イケメン!
こちらが阿部寛さんの昔の若い頃の写真。
めっちゃイケメン!
昔からやっぱり顔は濃いですね〜(笑)
この当時まだ大学生だったって信じられますか・・・?
21歳にしてこの大人びた貫禄は阿部寛さんにしか出せないですよね。
こちらは25歳の時の阿部寛さんですが、確かに若々しいですがその渋さは昔からバリバリありますね。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]良い意味で大人っぽすぎる!笑[/ふきだし]
【画像】阿部寛の若い頃(昔)①モデル時代
実は阿部寛さんのキャリアは21歳の大学生の時に始めたモデルからスタートしました。
21歳(1985年)〜23歳(1987年) 雑誌『メンズノンノ』に出演
意外にも中央大学理工学部という理系に通っていた阿部寛さん。
中央大学在学中の21歳(1985年)の時に姉に勧められて優勝賞品である車ほしさに「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」に応募し優勝。
その後は雑誌『ノンノ』『メンズノンノ』のカリスマモデルとして活躍していました。
189cmという日本人離れしたその抜群のプロポーションは、モデルの中でも群を抜いていました。
その「ワイルド」と表現できるその雰囲気は若い頃から変わらない阿部寛さんの良さですよね。
モデル時代はメンズノンノでも多くの表紙を飾り、その当時の人気の高さや期待が伺えます。
また、同時期に『ノンノボーイフレンド』を受賞した俳優の風間トオルさんも、阿部寛さんと同じように雑誌モデルとして活躍し、後に俳優へと転身しています。
阿部寛さんと風間トオルさんは同期でもあり、同じ道を辿った仲間として芸能界でも阿部寛さんにとって思い入れの深い人物ではないでしょうか。
モデル時代には『笑っていいとも』に出演
また、阿部寛さんはモデル時代の1987年の23歳のときの頃に「一笑っていいとも!」の「いい男さんいらっしゃい」というコーナーにも出演しています。
タモリさんから「俳優やったら?」と勧められるも、当時はまだその気はなく、普通に就職活動をしていたそう。
大学卒業後の進路希望は、芸能界ではなかったそうで、理数系だったためエンジニアを目指し、就職活動をしていた阿部寛さん。
しかし、すでに有名人だった阿部さんは、就職試験を受けるたび、職場の女性から騒がれたり「なぜ、君のような人が?」と面接で断られ、俳優の道に進むことを決めたそう。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]やっぱり就職しちゃうのは勿体なさすぎるよね〜[/ふきだし]
【画像】阿部寛の若い頃(昔)②俳優デビュー当時
就職を辞め、モデルから俳優に転身した阿部寛さん。23歳で俳優の世界に飛び込むことになります。
①俳優デビュー期
1987年(23歳)映画『はいからさんが通る』※俳優デビュー
阿部寛さんの映画デビュー作でもあり俳優デビュー作でもある映画『はいからさんが通る』大正時代を舞台にしたお転婆でハイカラな女の子の紅緒さんが許婚の青年軍人の忍さんと出逢い恋に落ちる純愛メロドラマです。紅緒さんを演じるのは当時人気絶頂だった南野陽子さんで、そのお相手役を務める阿部寛さんにとって大抜擢とも言えるデビュー作でした。
このはいからはデビュー作でもあり本人の記憶に強く残っているようで、当時の様子をこのように語っています。
俳優も選択肢の一つにあるのかなと思い始めた時期で。そんなときにお話をいただいて、南野さんは当時押しも押されもせぬアイドルでしたから、出演をお引き受けしました。とはいえ、俳優としてはド素人。クランクイン前に監督と何日もリハーサルをして現場に入ったんですけど、いざカメラテストになったら頭が真っ白になって。あのときのことは今でも鮮明に覚えています(笑)」
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]もしこのはいからの出演が決まらなかったら就職していたと思うとある意味多イニングポイントとも言える出演作だよね[/ふきだし]
印象的なのはこの時は阿部寛さんの声も今より低くなく、動画で見るとめっちゃ違和感あります(笑)
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]声が変わるのは当たり前だけど、阿部寛さんと言えばあの低くて渋い声で聞き慣れているので声が高いのはめっちゃ違和感がw[/ふきだし]
1989年(25歳) ドラマ『風に恋して』
1988年の24歳の時に『恋をしましょう』でドラマデビューした阿部寛さん。
デビュー2作目ではテレビ朝日開局30周年記念特別企画のドラマ『風に恋して』に出演。当時26歳の若かりし頃の松田聖子さんと共演しています。
夫が海外へ単身赴任している妻役の松田聖子に一目惚れする阿部寛さんとの一時の恋物語。今ではまず演じることのない、阿部寛さんの貴重な恋愛ドラマですよね。
1989年(25歳) ドラマ『俺たちの時代』
1989年の25歳の時には田原俊彦さん・秋吉久美子さん・柳沢慎吾さんらが出演するドラマ『俺たちの時代』に出演。
広告代理店業界を舞台にした物語で、阿部寛さんは父は政治家という家柄で、これに関する多くのコネを持つ。マイペースなお坊ちゃまタイプの役柄を演じました。
秋吉久美子さんの部下の役型でもありますが、先生や教授など、人の上に立つような役柄の印象が強い阿部寛さんですが、駆け出しの頃の意外な役柄でもありますよね。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]でも阿部寛に部下の役ってやっぱり似合わないね(笑)[/ふきだし]
1990年(26歳) ドラマ『愛してるよ!先生』
1990年の26歳の時には学園ドラマ『愛してるよ!先生』に出演
山瀬まみさん演じる絵本作家を夢見る小学校の新米教師のまゆが幾多の苦難を乗り越え、教師と児童とのふれあい等を描いたドラマです。
TOKIOの松岡昌宏さんが小学生役で出演する貴重な作品でもあり阿部寛さんは同僚の先生役で出演。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]阿部寛さんの先生役デビュー作でもあるね![/ふきだし]
デビュー当時の大物女優との熱愛で干される?
また、阿部寛さんはこの俳優のデビュー当時に当時超人気女優だった沢口靖子さんとの熱愛が噂されてました。
二人の出会いは1988年の夏「24時間テレビ 愛は地球を救う」内で放送されたスペシャルドラマ「二十歳 もっと生きたい」で恋人役で共演し急接近。
週刊誌に「花火デート」をスクープされましたが、沢口靖子さんは
「フランクなお友達です。騒ぎになって困ってしまいました」
と回答し交際に発展する前にマスコミにキャッチされ、関係が終わってしまいました。
後に当時の沢口靖子さんに対するストレートな心境を自身の著書「アベちゃんの悲劇」で明かしており、沢口靖子さんに対して好意を持ちアプローチしたことを綴っています。
「僕は役柄で恋人同士ということもあり、徐々にその女優さんに惹かれていった。『可愛いな。明るくて、性格がよくて、人間的にも魅力的だし』と、この世界に入って初めて〝女優さん〟に好意を抱いた。(略)毎日、現場に行くのが楽しく、仲のいいヘア・メイクの人たちに、モデル時代のノリで、オープンに『付き合ってみたいな』なんて話をしたりしていた」
沢口靖子さんと言えば、NHKの朝ドラ『澪つくし』の大ヒットですでに国民的女優。
週刊誌はこぞって阿部寛さんを「大切な人気女優をナンパしようとした、札つきのプレイボーイ」という記事をスポーツ紙に掲載。
この沢口靖子さんの熱愛報道は関係者に「チャラい」マイナスイメージを与え、「干され」てしまいました。
それどころか、仕事も減少。ほかの女優と共演するたび「新しい愛」「三角関係」などと書かれたからだ。仕事を「干され」た阿部は「役者人生最初の試練」と振り返っている。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]この熱愛報道は間接的に後の低迷期に繋がる原因の一つだったようですね。[/ふきだし]
しかし、熱愛報道のトラウマから恋に及び腰となったせいで婚期が遅れた自身の経験はのちのドラマの演技でも大いに活きたことでしょう。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]結婚できない男は自身も同じ体験していたからあんなにリアルに演じれたんだね(笑)[/ふきだし]
【画像】阿部寛の若い頃(昔)③低迷期〜再ブレイク期
モデル上がりの俳優として多くのドラマに出演した阿部寛さん。しかし、その実は順風満帆ではなく、阿部寛さんにある壁が立ちはだかります。
②不遇の低迷期
モデルから俳優に転身し、順風満帆そうに見える阿部寛さんの芸能生活。
しかし、身長189センチとその目立ちすぎる容姿は俳優という仕事には逆にデメリットになり、その後は役者としてのお仕事が次第に減っていきました。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]確かにこんな目立っちゃうと2ショットが撮りづらいしキャスティングしづらいよね〜[/ふきだし]
[ふきだし set=”まゆたん猫(右)”]モデルでは武器のこの目立つ容姿は俳優では逆にマイナスに働くことの方が多かったんだニャ〜[/ふきだし]
そして依頼される役柄も爽やかなモデルのイメージに近い青年役ばかりがきたそうで、ルックスだけの俳優だという評価に当時は非常に悩んでいたようです。
その後、来る役といえば、高価なファッションに身を包み、フェラーリを颯爽(さっそう)と乗り回す二枚目といった同じようなものばかり。まだ演技力も伴っていなかったため、すぐに飽きられ、仕事は激減。
そして、容姿だけの俳優という自分の立ち位置やモデル時代の「栄光」が逆に阿部寛さんを苦しめていくことになりました。
「1、2年経つと新しい俳優が出てきて、すぐに過去の存在になる。あれ? 俺って何だったんだろうって。取り残されていく感覚が僕にもありました。モデルとしてある種、“蝶よ花よ”の扱いを受けていたから、余計にそう感じたんでしょうね。恵まれたデビューの仕方が、逆にコンプレックスになっていったんです」
また、この時期は阿部寛さんにとって低迷期であり、多くの失敗や挫折を経験していたそう。その不遇の低迷期時代のエピソードを3つご紹介しましょう。
低迷期時代のエピソード①20代で借金数億円
阿部寛さんの俳優として活動していた当時の日本はちょうどバブル真っ只中。
自身も『メンズノンノ』の看板モデルとして人気絶頂だった阿部寛さんは、知人の紹介でマンションを購入。
借り入れをしてまで不動産投資にのめり込みましたが、バブルが弾け不動産価格が急落し数億円の借金を抱えたそう。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]す…数億円!?[/ふきだし]
しかし、その後20年かけて返済したそうですが、俳優としても低迷期に加えてこの莫大な借金は精神的にも非常にキツかったことでしょうね。
低迷期時代のエピソード②一時はパチンコで生計を立てる
俳優として食べて生きない時期はパチスロで生計を立てていたという阿部寛さん、月に15万円は稼いでいたそうで、その生活を1年半ほど続けていたそうです。
まさに、ドン底を象徴するエピソードではないでしょうか。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]俳優という華やかな世界の人がパチンコで生計を立ててたとか本当芸能界は厳しい世界だね〜[/ふきだし]
低迷期時代のエピソード③『あの人は今』のオファーが来る
一時期は俳優として忙しくテレビに出ていた阿部寛さんですが、20代後半になるとめっきり露出が減ってしまったことかとから『あの人は今』のオファーが来たそう。
しかし、これが自身を奮い立たせるきっかけになったと本人も語っています。
-その間苦労もあって、「あの人は今」で取り上げられたことがあるとか…。
★阿部 びっくりしました。この世界に入って3年たたないうちですよ。写真貸さなかったですけどね、たぶん。でもそれで目が覚めた。イメージを気にしてやってる場合じゃないなって。それ以降は先輩の現場に行って、自分が良いなって思う人をずっと眺めてヒントを探してた。そんな時期があると悔しいってエネルギーが湧いてくるんです。それが支えになってくれる。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]でも悔しさを原動力に変えれたことはすごいよね![/ふきだし]
③俳優転換期
2枚目俳優として生き残ることに限界を感じた阿部寛さん。当時の心境をこのように語ります。
「いろいろな役をやれるようになって実績を上げないと、この世界では通用しない」。そう気付いた。だが、来るオファーは相変わらずルックス重視のこれまでと変わらない役ばかりで、そこからどう抜け出していけばいいのかわからず、当時はずいぶん苦しい思いもした。
しかし、いよいよ30代に突入しようとする29歳の頃、そんな阿部寛さんに転機が訪れます。
それが、演出家のつかこうへいさんとの出会いです。
「イメージとかそういうものを全部壊して、最初からお前を食える役者にしてやる」
このようにつかさんから言われた阿部寛さん。最初は半信半疑だったそうですが、つかさんのもとで厳しい指導を受けることに。
1993年(29歳) 舞台『熱海殺人事件 モンテカルロ・イルージョン』
1993年の29歳の時に出演した舞台『熱海殺人事件 モンテカルロ・イルージョン』では、今までの阿部寛さんでは考えられなかったバイセクシャルの役柄に挑戦。
「チャイナドレスを着ているバイセクシャルの部長刑事役。稽古初日、心の整理がつかず、30分くらい廊下をウロウロしてから、腹を決めて稽古場に入りました。“モデル上がり”と呼ばれるのが嫌でそのイメージを壊すためにこの役をやることにしました。舞台が終わって、つかさんから『俺の芝居の中でベスト3に入る出来だった。絶対にお前はこのままでいけるぞ!』と言われたことが、今でも支えになっています」
その2枚目俳優時代とはかけ離れたキャラクターを演じた阿部寛さんのなかで、何かが変わっていくことになりました。
―― つかさんの舞台に出て以降は、ドラマや映画でも演じる役柄が変わりましたか?
阿部 それ以降は自分の中にない役を求めてやっていたし、難しい役であればあるほど面白いと感じていました。30代のころは、同じような役はやらない、意識して変えるようにしていた。
この、つかこうへいさんのもとで俳優として「殻を破る」ことができた阿部寛さん。この出会いがその後の躍進のきっかけになり、阿部寛さんは『2枚目俳優』から『3枚目俳優』へとその幅を広げていきます。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]この阿部寛さんの俳優としての原点は演出家のつかこうへいさんとの出会いがターニングポイントだったんだね![/ふきだし]
[ふきだし set=”まゆたん猫(右)”]もしつかさんと出会っていなければここまでの俳優にもしかしたらなってなかったかもしれないニャ[/ふきだし]
1994年(30歳) 映画『しのいだれ』
1994年の30歳の時に出演した 映画『しのいだれ』では憧れだった役所広司と共演。
極道のヤクザを演じ、阿部寛として新たな一面を見出しました。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]関西弁で話す阿部寛さんめっちゃ新鮮![/ふきだし]
1995年(31歳) NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』
1995年の31歳の時にはNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』に出演。
その後も時代劇への出演も増え、役柄の幅を広げていきます。
④俳優ブレイク期
2000年(36歳) ドラマ『TRICK』
阿部寛さんの再ブレイクのきっかけといえば、2000年の36歳の時に仲間由紀恵と共演したドラマ『TRICK』でしょう。
劇中で自身のモデル時代の写真を自虐ネタとして多用するなど、徹底して三枚目の役を演じました。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]多くの人はこのTRICKで阿部寛さんの印象が強くなっていった人も多いのではないでしょうか?[/ふきだし]
2005年(41歳)『ドラゴン桜』
阿部寛さんの再ブレイク作でもあり、代表作の一つと言っても過言ではないのがこの2005年の41歳の時に出演したドラマ『ドラゴン桜』
桜木先生はまさに阿部寛さんのルックス、そして雰囲気にぴったりの役柄でしたよね。阿部寛さんといえばこの桜木先生のような「ビシッっと決める」キャラクターのイメージが定着したことでしょう。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]桜木先生の役柄がハマり役すぎて、阿部寛さん以外考えられないよね〜[/ふきだし]
2006年(41歳)『結婚できない男』
阿部寛さんの再ブレイクを象徴する作品の一つ『結婚できない男』
絶妙な変人の演技はまさに阿部寛さんの3枚目の俳優としての真骨頂とも言え、「個性派」の印象を視聴者に強く根付かせた作品ではないでしょうか。
[ふきだし set=”まゆたん(左)”]こう見ると、阿部寛さんが本格的にブレイクし出したのは35歳〜40代前半にかけてなんだね〜[/ふきだし]
[ふきだし set=”まゆたん猫(右)”]デビューは早かったけど、本格的ブレイクまでかなり時間が空いててかなり遅咲きの苦労人だったんだニャ[/ふきだし]
【画像】阿部寛の若い頃(昔)のまとめ
阿部寛さんの味のある演技の「個性派俳優」としての姿は過去の挫折や失敗、そんな苦労した経験があったからこそ生まれた姿だったのですね。
そして決して順風満帆ではなく、低迷期を乗り越え再びブレイクするそのストーリーも阿部寛さんに魅了される理由の一つかもしれませんね。
これからもご活躍も楽しみにしています!
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