歌手として様々なヒット曲を生み出し大ブレークし、女優の新垣結衣さんと結婚したことでも話題になった星野源さん。
そんな星野源さんの学生時代の昔の写真が「めっちゃダサい」話題になっていますね。
今回は、そんな星野源さんの学生時代の昔の写真をご紹介したいと思います。
【画像】星野源の昔がダサかった!?学生時代はメガネオタクだった?
こちらは中学校2年生の時の当時14歳の頃の星野源さんの昔の写真。
し…衝撃的すぎる・・・
なんだかお笑い芸人のズンの岩尾さんに似てますね….(笑)
当時はメガネオタクだったそうで、今の姿からは想像もできないその星野源さんの過去。
では、ここからは星野源さんの昔を時系列でさらにくわしくご紹介していきましょう。
【画像】星野源の昔がダサかった!?オタクだった学生時代を時系列で
”イジメ”があった小学校時代
実は、元々内向的な性格だったという星野源さん。
小学校時代の”イジメ”が原因で、さらにその性格に拍車がかかってしまったようです。
元々お腹が弱かったという星野源さん、小学校3年生の時の学校行事のマラソン大会の時には人前で下痢を漏らしてしまいました。
その時についたあだ名が「うoこ」
それ以降、星野源さんは小学校3年生にして”パニック障害”を患ってしまい、精神科に通い処方を受けていたようです。
「すごく内気な子供だったんです。小学校のときに内気すぎて、親が、「これで普通の公立中学に行ったら、いじめられるかもしれない」と心配したんですね。小学校のとき、若干ちょっといじめもあったので、それで神経性の腹痛によく罹って、通学路の途中までしか行けない、みたいになっていたんです。
”メガネオタク”だった中学時代
それを見かねた母親は「公立の小学校には通わせられない」そう思います。
そこで、自主性を尊重し、自由な校風である埼玉県にある中高一貫の「自由の森学園中学・高等学校」に通わせることを決めたそう。
しかし、中学に入ってもその性格は変えられず、周りから見ても内気な少年だったようです。
「もともと内向的な性格で、中学時代は周囲から見ても目立たない “メガネ君” という感じ。高校に進学したあとも『彼女はいなかった』と話していました」(同級生)
この星野源さんが通っていた中学校は校則もなく、髪型も自由だったそうで、一時期は髪の毛を腰の辺りまで伸ばしていたそう。
↑宅八郎はこちら
本人も「メガネをかけたロン毛で、見た目は完全に宅八郎だった」と語っています。
また、「クソオタクだった時。メガネかけて毎日学校に『名探偵コナン』を3巻ずつ持ってくっていう」と星野源さんも語っており、本人も”オタクだった”という自覚はあったようですね。
また、中学生なのにデパート行ったらクレジットカードの勧誘されたりしたそうで、その当時のあだ名は“おじいちゃん”だったそう。
しかし、ジャズミュージシャンだった父親の影響や中学時代の友人の影響や、暗い人生を払拭して、イメチェンを目的にこの頃から音楽活動と演劇活動を行うことで徐々にその性格も変化していきます。
「中学1年生の時に先輩に『演劇やらないか』って誘われて、セリフっていうものを初めて大声でしゃべったときに、胸がスカッとして」と、演劇に出会って性格が変化していったと明かした。
”不登校”もあった高校時代
高校時代も相変わらず、「人とのコミュニケーション」が苦手だったという星野源さん。
暗かったですね。自分の気持を素直に表に出せなくてそれを音楽とか演劇をやってなんとか消化してたというか。普通に同級生と自分の気持ちで話せなかった。
こう語っており、自分の気持ちを素直に友達に表せず、自分でいつも溜め込んでいたようですね。
実は、小学校時代からのパニック障害は改善されていなかった星野源さん。
「コミュニケーション」がうまくできず、精神的に病んでしまし、高校3年生にそれが爆発してしまいの3ヶ月ほど一時期は”不登校”だったそう。
しかし、不登校を明けてから、高校の友人に『バンドやらない?』と声をかけられそれがきっかけで音楽の楽しさにますますのめり込んでいったようです。
こういう仲間に恵まれていたことが星野源さんの人生に大きな影響を与えたことでしょう。
「行かなきゃなそろそろって学校に行った日、クラスメイトに『バンドやらない?』って言われて。それまで人前に出ることが嫌だったけど、やるって言って。そこから人前に出られるようになった。こんなに楽しいんだって、そこから自分の曲を人前でやるようになりました」と明かした。
こちらが高校時代の卒業アルバムの星野源さん。
中学時代や高校時代の初期にあった根暗感はすっかり消え、普通に好青年ですね。
この写真からもすっかり別人のように生まれ変わったことを感じますね。
【画像】星野源の昔のダサかった頃から”下克上”の人生を時系列で
【学生時代】
自身でも”オタク”と公言するほど根暗で’’おじいちゃん’’と呼ばれるほどの学生時代。
”イジメ” ”パニック障害” ”不登校”といった困難を乗り越えながらも、音楽や演劇と出会うことで、自分の進むべき道を見つけます。
【20代】壮絶な下積み時代〜そして開花
高校時代の友人と2000年にSAKEROCKを結成し活動、そして劇団『大人計画』へ所属し、舞台俳優として活動。
しかし、大学にも行かず、当時はまだまだ芸能一本では食べていくことができずにバイトをしながら極貧生活を送る日々。
「僕は(家賃)3万8000円の風呂なしアパートで、(青春を)謳歌している人を恨んでましたね。合コンを行く金なんて全く無かったし、初給料でパン屋さんでパンを買って食べて泣いたんですよ。『パンって、こんなに美味しいんだ…』」
長い下積み時代を経て2010年についにメジャーデビュー。徐々に”星野源”の名も世に知られ、その才能が開花していきます。
「20歳ごろの源君はギラギラしていて、酔うと『俺には絶対に売れる才能がある。音楽でも、俳優でも、作家でもなんでもいいからとにかく早く売れたい』と、熱く語っていました。当時はモテるというか “人たらし” という感じで、源君に頼まれてバンド活動を手伝うファンが何人もいたんです」(バンド時代の関係者)
【30代】病気〜大ブレイク
デビューし絶頂期のこれからという時に蜘蛛膜下出血で活動休止。さらなる困難を星野源さんが襲います。
しかし、奇跡の復活から逃げ恥出演で俳優としても歌手としても大ブレイク。最高の30代を駆け抜けます。
【40歳】ガッキーと結婚
そして、2021年、あの日本一の人気女優と言っても過言では新垣結衣さんとの電撃結婚。
人って本当に変われるんだな〜。と思わせてくれる世のイケてない男性に勇気を与える星野源さんの人生。
まさに”下克上”とも言える星野源さんの人生。もはやこれだけで映画作れそうですね。
【画像】星野源の昔の写真のまとめ
前にアメトークで「中学イケてない芸人」が流行り、世のイケてない学生に勇気を与えました。
そんな星野源さんも同じように勇気を与えられるの存在ではないでしょうか?
そして、トラウマであってもおかしくないこのような恥ずかしい過去を隠すことなく赤裸々に語れる星野源さんのその姿はある意味同じような境遇の人には一つの’’メッセージ’’として映ることでしょうね。
これからもご活躍を期待しています!
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