2020年に突然この世を去った女優の竹内結子さん。
その理由については色々憶測が流れていますが、その背因には竹内結子さんの複雑な「生い立ち」が関係していると言われています。
今回は、そんな竹内結子さんの生い立ちや両親・家族構成についてもまとめてみました。
竹内結子の生い立ち
名前:竹内 結子(たけうち ゆうこ)
生年月日:1980年4月1日
出身:埼玉県浦和市(現さいたま市南区)出身
所属:スターダストプロモーション
デビュー:1996年
3姉妹の末っ子に生まれる
竹内結子さんは1980年に埼玉県浦和市で3姉妹の末っ子として生まれ育ちました。
姉とは歳が離れているようで、年の離れた末っ子と言えば、甘やかされ育ちそうですが、彼女の父親は厳しかったそう。
しかし、学校ではお調子者キャラでクラスの人気者だったようです。
「言うことを聞かないと鉄拳制裁も辞さない、昭和のお父さんという感じの方で、結子ちゃんも“よく殴られた”と話していました。でも、彼女自身もおてんばでした。小学校を転校する前のお別れ会で、結子ちゃんは楠田枝里子さんのモノマネをしてクラス中を笑わせていました。明るくて目がくりくりして、かわいい人気者でした」(小学校時代の友人)
祖母の存在
竹内結子さんの家庭は転勤族だったようで、父親の仕事の都合で、埼玉県内の小・中学校時代は学校を転々としていたそう。
転勤族で友人関係も不安定であり、厳しい家庭で育った家庭環境にあった、そんな心の支えとなったのが「母方の祖母」の存在でした。
父親は厳しく、言うことを聞かないと鉄拳制裁をも辞さない人だった。父親の仕事の関係で、小中学校時代は埼玉県内の学校を転々とし、心を通わせる友達をつくれなかった。この頃、誰よりも竹内さんをかわいがったのが県内に住む母方の祖母だ。
度重なる転校で心を通わせる友達を作ることができなかった竹内結子さん。
家に帰るともっぱらおばあちゃんが遊び相手だったそうで、複雑な幼少期において、当時はおばあちゃんその存在が心の支えだったようですね。
「おばあちゃんは3姉妹の末っ子だった結子ちゃんをとてもかわいがっていました。結子ちゃんも学校から自宅に帰るとそのままランドセルを置いて、生け花の先生をしていたおばあちゃんの家に行き、ご飯まで食べて帰る毎日でした。おばあちゃんは結子ちゃんが芸能界入りしてからも、ずっと応援し続けていました」(竹内家の知人)
14歳で母親が亡くなる
しかし、そんな竹内結子さんに不幸が襲います。
中学時代に竹内結子さんの母親が癌になり入院。
しかし、看病も実らず1994年、竹内さんが14才のときに母親はがんでこの世を去りました。
「お母さんが、がんになったんです。お母さんは子供たちの食事に気をつけて、玄米に無農薬野菜を使った料理をする優しいかたでした。それが突然がんになってだんだんと動けなくなり、結子ちゃんらが必死で看病していました」(前出・竹内家の知人)
母の生前に両親は離婚していた?
また、竹内結子さんの母親ががんで亡くなる前、父親と母親は離婚していたことも分かっています。
しかし、離婚後も夫婦は同居を続けていたようで、離婚しても同居を続けていたり、奥さんががんで闘病中に離婚するとは客観的にみると父親がかなり非常に見えてしまいますが、、、
そういうところからも複雑な家庭環境だったことが伺えます。

竹内結子の父親の再婚後の両親や家族構成が複雑
母親の死後1年後に再婚
そして、母親の私の翌年に竹内結子さんは竹下通りを歩いていたところスカウトされ、中学3年生の時に芸能界入り。
これと同時期に竹内結子さんにとって更なる複雑な出来事が起こります。
それが、父親の再婚です。
父親の再婚相手は亡き母の友人だったそうですが、その再婚相手には3人の男の子の兄弟の連れ子がおり、竹内結子さんは一気に6人兄弟になりました。
高校生という多感な時期に再婚、しかも兄弟が3人も増える経験をした竹内結子さんの心中を察します。
家庭の中で孤独を感じる
急に父親に再婚相手ができ、兄弟も3人も増えた竹内結子さんの家族。
そんな中で家庭内で”疎外感”を感じるようになった竹内結子さんは家にあまり帰らずにますます祖母の家に寄り付くようになったそう。
前年にお母さんを亡くしたばかりの結子ちゃんにとっては、急な環境の変化に息が詰まるような思いもあったようです。父親にも甘えられず、彼女はあまり家に帰ることもなく、ますますおばあちゃんの家に寄りつくようになりました」(前出・竹内家の知人)
当時の様子を1999年発売の小説『サーフ・スプラッシュ』という小説で語っています。
実は、竹内結子さんは桜井亜美さんの小説を原作にした映画『イノセントワールド』にその1年前の1998年に出演しており、その縁で解説を書くことになったようです。
その解説の中で竹内結子さんは再婚後の家族についてこのように胸中を語っていました↓
《帰る家は暖かい家庭そのものに見えたが、カギのかかった空間がいくつもあるような場所だった。足早に台所を通り過ぎる時、一人の人間として父が必要とした女の人が、彼女の子供たちのために食事の支度をしている。晩の食卓の賑やかな景色が、私にはガラス越しのものに見えた(中略)私は父に人生を好きに生きてくれたらいいと思っていた。連れ子という荷物がいることを面倒に感じられたくなかったのだ。その思いが自分の心に無理を課していたとは気付かなかった》
・自分のことを『連れ子という荷物』と表現
・再婚相手の女性を『父が必要とした女の人』と表現
・晩の食卓の賑やかな景色が、私には『ガラス越しのもの』に見えたと表現
そのような表現からも当時の家庭内での立場や再婚相手との関係性が想像できますね。
この解説を書いた当時、竹内さんはまだ19歳で高校を卒業し、都内で一人暮らしを始めて1年が経とうとするころ。
小説と照らし合わせ自身の生い立ちを語る竹内結子さん。
その当時だからこそ綴れる褐色されていないリアルな胸中が綴られていますが、やはり家庭内で”疎外感”を感じていたことがこの文章から想像できます。
それを物語るように、当時仕事仲間には
「私、ちょっと複雑な家庭なんで戻る場所なんてないんです。だから、この世界で絶対に頑張らなきゃいけない」
こう語っており、仕事において少しのミスも許さなかった竹内結子さんの姿勢の背景には、「ここしか自分の生きる場所はない」という悲壮な覚悟があったのでしょうね。
竹内結子の実家は越谷レイクタウンの肉屋だった?
実家は越谷レイクタウン?
竹内結子さんの実家は埼玉県さいたま市南区(元浦和市)であり、ここで幼少期を過ごしました。
しかし、2010年ごろから越谷レイクタウンでかなり目撃情報があり、ここに両親に一軒家を買い一緒に住んでいたと推測されます。
確かに、中村獅童さんと離婚したのも2008年の2月なので、時期的にも信憑生が高いですよね。
竹内結子がレイクタウンの近くに住んでるって!!あの白い家。めっちゃ地元。会いたいなー何年も住んでたら一回くらい会えそうだけど。住みたいって思ってくれたことがまずうれしいよね
— Yuka (@ReeBlank) June 9, 2011
そういえば、レイクタウンに竹内結子が住んでるらしい。竹内結子って浦和出身だったんだね。
— 須藤友慈 (@yujis) December 15, 2010
レイクタウンの、住宅街に、足を踏み入れたら、リアル竹内結子が、子供の自転車に、空気をいれてた!越谷に、住んでいたとはビックリ!
— シゲ (@soramirano) October 26, 2010
実家は『ハムカツ屋』
また、竹内結子さんの実家はハムカツ屋という噂があります。
これは一体どこから出てきたのでしょうか?
竹内結子さんが映画『なくもんか』でハムカツ屋の妻を演じたとき
実家のハムカツが使われていた。
「とんねるずのみなさんのおかげでした」の
『新・食わず嫌い王決定戦』に出演時に
竹内結子さんが実家のハムカツをお土産で持ってきていた
この2点のきっかけがあり、この頃から竹内結子さんの実家はハムカツ屋と言われるようになりました。
実家が『中村屋』はデマ?
また、竹内結子さんの実家は越谷にある『中村屋』というお肉屋さんだという情報がネット上で散見されますが、これは『デマ』だと言えるでしょう。
越谷レイクタウンというのはあくまでも、竹内結子さんが芸能界に入ってから稼いだお金で両親に建て(たであろう)て一緒に住んでいるに過ぎません
確かに、この中村屋は『ハムカツ』が有名ですが、一部のネットユーザーがこの『越谷』と『ハムカツ屋』を無理やりこじつけたに過ぎないことでしょう。
竹内結子が亡くなる前の実家のトラブルについて
竹内結子さんが亡くなった後の実家の状況はどのようになっているのでしょうか?
祖母の親族と父親がトラブルに
幼少期からずっと味方であり常に可愛がってくれた竹内結子さんの祖母ですが、実は竹内結子さんと疎遠になっていたそう。
その原因は祖母の資産を竹内結子さんの父親が処分して、不動産を購入したことが原因だったそう。
父親としては“義母の許可を得ている”との言い分だったらしいけど、親族とトラブルになったそうです。
祖母とは疎遠に
そして、それが原因で竹内結子さんと祖母は会いづらくなり生前におばあちゃんが体調を崩した際、竹内結子さんが見舞いに訪れたのが、それが2人の最後の対面だったそう。
「おばあちゃんの資産をめぐって、結子ちゃんの父親と実母方の親戚にトラブルが生じたんです。問題がこじれて父親と親族はほぼ絶縁状態になり、結子ちゃんもおばあちゃんに会いにくくなっていました。
祖母は家族葬に参列できず
また、この金銭トラブルがあったことで竹内結子さんの祖母は葬儀に参列できなかったそう。
しかし、祖母はすでに判断能力が低下しており、亡くなった後も竹内結子さんの死を知らされていなかったそう。
やはり、亡くなった後のいざこざを見ると、竹内結子さんの複雑かつ問題の多い家庭環境もこの死になにかしらの影響を感じられずにはいられません。
「90才を超えたおばあちゃんは判断力が低下しており、まだ結子ちゃんの死を知らされていません。彼女が亡くなってから、実母方の親戚が“最後にお別れだけさせてほしい”と家族葬への参加を頼んでも、先方から“家族だけの密葬にするので、会わせられない。おばあさんにもそう伝えておいて”と参列を拒否されたそうです。
竹内結子の実家や生い立ちのまとめ
・竹内結子の実母は14歳の時にがんで亡くなっている
・母親の死後1年後に違う女性と再婚
・再婚女性には3人の息子の連れ子がおり、3姉妹だった竹内結子さんは6人兄弟になる
・その影響で常に”疎外感”を感じる幼少期だった
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