かつて、恋人である小室哲哉さんの全面プロデュースによって一躍トップアーティストへと上り詰めた華原朋美さん。
まさに無名のタレントが小室哲哉という一人の男に出会い見初められ、トップアーティストへと駆け上がるそのストーリーに”平成のシンデレラ”と呼ばれました。
その後は小室哲哉さんとの破局により、薬物騒動など私生活で騒がせることが多かった華原朋美さん。
そんな華原朋美さんと小室哲哉さんの馴れ初めから破局まで、詳しくまとめてみました。
華原朋美と小室哲哉の馴れ初め
きっかけはバラエティ番組『天使のU・B・U・G』に出演
華原朋美さんは歌手デビュー前は『遠峯ありさ』という芸名でグラビアアイドルとして活動していました。
雑誌などに登場していましたが、いわゆる『無名のアイドル』だった華原朋美さん。
しかし、今田耕司さんと東野幸治さんが司会を務める深夜バラエティ番組『天使のU・B・U・G』に出演。
この番組は無名の女性アイドルたちが様々なゲーム企画などに挑戦するいわば芸能人の卵の発掘番組です。
この番組で、華原朋美さんは持ち前の明るさや個性を発揮し、番組に出ているアイドルの中でもかなり存在感を見せた華原朋美さん。
この番組が自身の運命を大きく変えることとなります。
小室哲哉に見初められる→交際へと発展
番組プロデューサーを通して紹介
小室哲哉さんと華原朋美さんの出会いはこの番組の打ち上げで番組プロデューサーから、小室哲哉さんが自分に興味を持っており、会いたがっていると伝えられたのが事の発端でした。
この当時の心境をこのように語る華原朋美さん。
「有名プロデューサーが遠峯のことを呼んでいるから一緒に行こうって。いっぱいアイドルがいたのに私だけ呼ばれて、マジ勝ったと思いました」
やはり、自分でもかなりチャンスだということに気付いていたようですね。
早速、華原朋美さんは指定された当時青山で経営していた店「TJM」に呼ばれ向かいます。
指定された店に行くが、小室哲哉さんにはすぐには会えず、ようやく夜が更けて初めてあいさつを交わし初対面を果たしたそう。
このときの様子を、華原朋美さんはのちにこう語っています。
「何かのイベントが催されていたのか、大勢の人でごった返すそこには、TRFのSAMさんやDJ KOOさん、それから『メンノン(メンズノンノ)』でよく見かけていたマーク・パンサーさんがいました」
いきなりセレブなパーティー会場に足を踏み入れた華原朋美さんは、すぐにファミリーの一員となります。
また、出会った時に小室哲哉さんに「これから何になりたいの?」そう聞かれた華原朋美さんは
「テレビに出たいです。女優になりたい」
そう答えたそう。
とはいえ、本心は以下のようだったと語る華原朋美さん。
歌手になりたいという夢もあったが、すぐになれるわけもないと思っていたし、むしろテレビに出たいという気持ちが強かった
このよう語るように今の自分の実力を考え総合的に考えた上での回答だったようです。
華原朋美の「歌声」に惚れる
しかし、それを聞いた小室哲哉さんから、出会った翌日に電話番号を教えていないにもかかわらず、小室哲哉さんから電話がかかったそう。
そして、その電話で「声を聴いてみたい」と連絡があり、スタジオに呼ばれた華原朋美さん。
ちょうどglobeでデビュー直前のマーク・パンサーが曲を収録していたところで、ちょっとその曲を歌ってみてくれと言われその場で彼女の歌うパートを書いてくれ、初めてレコーディングを体験したそう。
そして、華原朋美さんの歌声を聴くと小室哲哉さんは涙を流しながら「君を歌手として育てたい」と話し歌手デビューを決めます。
2000年に発売した華原朋美さんの自伝「未来を信じて」では、この瞬間について
「その日から、彼は私にとって大きな存在になりました」
こう語っています。
「自然」な形で交際スタート
また、二人は出会いから1週間後に交際に発展、そして同棲が開始しました。
ある日、小室哲哉さんに案内されマンションに行くと、広い部屋に真新しい家具が置かれており、「ここが二人の家だよ」と言われたそう。
同時に華原朋美さんの実家にも小室は挨拶に行き、両親に対して「僕はこういう子を探していた」と説得までしたそうで、当時の小室哲哉さんの本気度が伝わってきます。
小室哲哉が恋人『華原朋美』を全面プロデュース
こうして華原朋美さんは小室哲哉さんプロデュースのもと、歌手デビューすることが決定。
ここまでのことは、二人が初めて出会ってからなんとわずか1~2週間の出来事。
かなりの急展開ですが、小室哲哉さんの「僕を信じて」という言葉を華原朋美さんは信じたそう。
また、この歌手デビューが決まったと同時にアイドルに対しての思いをこう語ります。
「同時に、あの野心満々の遠峯ありさという存在は、私のなかで薄れていきました。すでに生放送のレギュラーが決まってたんですが、たしか2、3回出演してやめることになったと思います」
当時、『今田耕司のシブヤ系うらりんご』という番組のレギュラー番組に出演していた華原朋美さん。
このレギュラー陣はナインティーナインなども出演し、後に『めちゃ×2イケてるッ!』の冠番組を持ちます。
もしここで華原朋美さんは小室哲哉さんと出会わなければ、遠峯ありさとして『めちゃイケ』レギュラーになっていたかもしれません。
キャラクター的にもバラエティー向けですし、本当人生って面白いですよね。
『小室哲哉』は公私ともにかけがえのない存在に
こうして、小室哲哉さんプロデュースの元、「I BELIEVE」「I’m proud」など大ヒット曲を連発した華原朋美さん。
出会いから1年経たずに「ミリオンセラーのトップアーティスト」へと上り詰めました。
しかし、このような経緯で歌手デビューを果たした華原朋美さんに対して「枕営業」だという声も多かったことも事実。
ただ、小室哲哉さんは『アーティストに手をつけたのではなく恋人に曲を書いてデビューさせた』と語っています。
恋人への「依存」で成り立つアーティストという立場
また、華原朋美さんのアーティストへの立場は恋人でもありプロデューサーという公私ともに支える『小室哲哉』という存在があって成り立っていたと言っても過言ではありません。
その恋人であり、自分を全面バックアップしてくれるプロデューサーという蜜月の関係は裏返すと『依存』の状態でもあります。
「小室さんがいなかったら私は歌えない」
絶頂期の記者会見でこのように語る華原朋美さん。
側から見ても小室哲哉さんに対して相当依存していることが伺え、それが後に悲惨な状況へと追い込んでいくことになります。
華原朋美の小室哲哉との破局。その別れた理由とは?
「別れ」は突然訪れる
二人の関係に終わりが発覚したのは1999年1月30日。
自宅で料理中にガス中毒で倒れ緊急入院したことで、小室哲哉さんとの破局が発覚。
この出来事を当時マスコミは小室哲哉さんと別れたことでショックの末の「自殺未遂」だと騒ぎました。
小室哲哉と華原朋美が別れた理由
華原朋美が語る別れた理由
また、実はこの破局は正式に話し合ったわけでもなく、小室哲哉さんから次第にフェードアウトしていったいわゆる『自然消滅』だったことが後に華原朋美さんの口から語られています。
「別れが近づくにつれて(小室の曲作りが)雑になっていく」とのこと。スタジオに現れず、電話連絡もつかず、どこにいるかすらわからない状態が続いた末に「いきなりいなくなる」のだという。別れ方はいわゆる「自然消滅型」のようで、華原は「結局、いつ別れたんだろうって感じで」と恨み節を炸裂させた。
なぜ別れたか、いまだに「私もわかんない」
このように語る華原朋美さん。
「別れ話でお互いに傷ついたり、傷つけたりというプロセスを経ていないから、気持ちの行き場が見当たらない。立ち直り方がわからなかったというのが、正直な話なのです」
当時の心境をこのように語る華原朋美さん。いわゆる一方的に「捨てられた」ような酷い終わり方が故に華原朋美さんを悩ませました。
小室哲哉に対する「依存」が原因?
小室哲哉さんの口からその別れた理由が語られたことはありません。
しかし、これまでの小室哲哉さんの女性遍歴や当時の状況から見ても
『小室哲哉に依存し構ってもらいたい華原朋美』
『小室ファミリーのことで手一杯で構ってられない小室哲哉』
これが別れた原因なのではないでしょうか。
それを物語るように、華原朋美さんはその後の彼氏ともうまくいかず精神的なショックで活動を休止しますが、自身の性格についてこのように語ります。
プライベートで恋愛がガタつくと、一気にバランスが取れなくなってしまって。私には何より仕事が大事なのに、彼ができるとそれが見えなくなっちゃう。
このように、華原朋美さんのかまってちゃんな性格が、仕事で忙しい小室哲哉さんにとって大きな負担になってしまったのかもしれませんね。
「浮気」も別れの決定打に?
また、これは破局の裏にある隠されたエピソードではありますが、1997年に週刊誌報道にて、俳優の小橋賢児さんが華原朋美さんの家から朝帰りする姿をスクープされています。
特に、華原朋美さんは当時小室哲哉さんと同棲していた部屋に度々小橋賢児さんを呼んでいたそう。
そして、それと同時に小室哲哉さんは後に結婚するglobeのボーカルのKEIKOさんとW浮気をしていたそうでした。
どちらかが浮気に気づき報復的な意味合いで浮気するようになったかはわかりません。
しかし、結果的にW浮気になり、これが別れの理由の決定打になったのかもしれませんね。
小室哲哉は元dosのAsamiと翌年結婚
そして、華原朋美さんと別れた1年足らずの2001年に小室ファミリーの一員でdosのメンバーだったASAMIさんとできちゃった結婚をしています。
活動開始当初の1999年1月に、小室哲哉さんからAsamiさんに告白しています。
このとき華原朋美さんと交際時期がかぶっていたようで、完全なる二股交際でいわゆるAsamiさんの「略奪愛」だったようです。
華原朋美さんもこのAsamiに対して今でも「あの女」とかなり恨みがあるようですね。
マツコが「(小室の)その次の女性も大変だったみたいだもの」と名前を伏せて話すと、華原は「あの女は本当に腹立ってます」と怒りのコメント。
Asamiさん自身も当時の様子をこう語っています。
「最初は『遊ばれてるのかな』とも思いました。当時は華原さんと付き合っているといわれていましたから」
このように、二股をしているという自覚はあったようですね。そして、この結婚も8ヶ月しか続かないことを見ても略奪愛はやはりうまくいきませんよね。
華原朋美の小室哲哉との破局後の転落
いわゆる「捨てられた」形で突然小室哲哉さんとの交際が終わった華原朋美さん。
そして、その『依存』の大きな反動がその後の華原朋美さんを苦しめていくことになります。
(1999年)失恋のショックから芸能活動を休止
この1999年1月の自殺未遂騒動を機に芸能活動の休止に入ります。
当時の様子をこのように語る華原朋美さん。
「全てが終わってしまったので、どうやって生きていったらいいんだろう」という状態だったと告白
そして、この破局を機に、精神的なショックでとても仕事をできる状態ではなかったようですね。
『薬物中毒』になる
そして、失恋の苦しみから逃れるように睡眠薬などの「薬物」に頼るようになった華原朋美さん。
違法なものではなくとも、その反動は薬物への依存へと大きく変わっていくことに。
「もうその頃には、私は睡眠薬や精神安定剤が手放せなくなっていたのです。もちろん、正しく使えばまったく問題ないもの。でも、私は苦しさをなんとかしたいがため、そこに頼るようになっていったのです」
こちらは当時の週刊誌にスクープされた薬物依存で休止中の華原朋美さんの画像。
その衝撃的な姿に世間は震撼しましたよね。
「当時は仕事も大事でしたけど、もっと大事なのが小室哲哉さんだったので、彼がいなくなったことで生きていけない。どん底に落ちる状態に」「どん底というか、人ではなくなった」
このように語る華原朋美さん。「小室哲哉」という存在を失った反動は想像以上に自分を苦しめていくようになりました。
(2007年)復帰するも再び『薬物中毒』で活動休止
26歳で芸能界に復帰し、ミュージカルの初舞台に自分のコンサート、バラエティー番組そして紅白歌合戦に出場するなど順調な活躍ぶりを見せていた華原朋美さん。
しかし、2006年の32歳の時に、当時の交際相手のDVなど、またもや異性関係が原因で「薬物依存」に陥り再度芸能活動を休止します。
異性関係で悩む→薬物に依存する→体調を壊すというまたもやこの悪循環に陥ったしまった華原朋美さん。
2009年、大量の精神安定剤を服用したままタクシーに乗車し、救急搬送
2010年夏、見かねた家族が閉鎖病棟に強制入院
活動休止中にはこういった出来事が重なるなど華原朋美さんにとって苦難が待ち受けていました。
(2012年〜)芸能活動再開
その後,芸能活動を再開し、2016年まで新曲を披露するなどアーティストとしても活動。
しかし、世間の目は厳しくアーティストというよりも「小室哲哉との失恋エピソード」が主なテレビ出演になってしまっている華原朋美さんに対しての目は厳しいものでした。
もうこの人って小室哲哉に捨てられた芸しか無いんだろうな。 #華原朋美 #ntv #ガキ使
— 椛 大介 (@kabachang) November 8, 2015
華原朋美はお願いだからもう小室から脱出してほしい。痛々しすぎる…。#ガキ使
— 狭山ちお? (@chiosayama) November 8, 2015
華原朋美と小室哲哉とのその後の関係性について
また、破局後の小室哲哉さんと華原朋美さんの関係性は一体どのような感じなのか?
その後の関係性についてご紹介したいと思います。
(2013年)「2013FNS歌謡祭」で共演
2013年12月4日に放送された「2013FNS歌謡祭」
この放送で薬物依存からカムバックした華原朋美さんと小室哲哉さんと共演したことが話題になりました。
「今まで迷惑と心配かけて、本当にすみませんでした。これからは、ちゃんと前を向いていけそうです。今日は、すごく楽しかったです」
と歌唱後に小室哲哉さんに駆け寄り胸に秘めた思いを打ち明け握手する場面がありました。
しかし、実はこの握手もすべて台本になく、本番後に小室サイドが「聞いてない!」と怒りの声を上げていたそう。
復帰舞台の演出に、小室さん側は“使われた”感じでかなり不満だったようです。
その証拠にその時の小室哲哉さんの様子は大人の対応をしたものの、かなりよそよそしい対応をしています。
(2014年)「僕らの音楽」で共演
しかし、2014年4月18日「僕らの音楽」の番組で「僕らの小室哲哉」と題した特集で共演。
TM NETWORK、TRF、鈴木亜美、ゴールデンボンバー、E-girlsなど小室ファミリーが出演する中に華原朋美さんも出演。
華原朋美さんがTwitterで2ショットを披露するなどこの時にはその関係はかなり良好にみられます。
前年の「FNS歌謡祭」について
「(リハで曲を)すごい忘れられてたんです。私の曲、忘れたんですか?って」と照れ笑いしながら明かすと、小室は「結果、うまくいきましたよね」と華原に話しかけ、華原が「はい、ありがとうございました」
などと話す場面も見られ、仕事仲間として新しい関係をしっかりと築けているようでした。
(2015年)小室哲哉が「はじまりのうたが聴こえる」の楽曲を提供
そして、2015年には小室哲哉さんが華原朋美さんに「はじまりのうたが聴こえる」を16年半ぶりに楽曲提供をしたことでも話題になりました。
小室哲哉さんが作ったメロディーをもとに華原朋美さんが作詞し、デビュー20周年を迎えた自身の歌手人生そのものを表現しました。
「捨てられた」と何度も繰り返し、小室に対して「いい思いもさせていただいた」「(小室の曲を)歌って生活させていただいている」
こう語るように、確かに小室哲哉さんからひどい仕打ちを受けましたが、その分シンデレラストーリーを歩むことができた華原朋美さん。
きっと恨む気持ちよりも感謝の気持ちの方が何十倍も強いことでしょうね。
華原朋美と小室哲哉の馴れ初め〜破局についてのまとめ
小室哲哉さんのおかげで夢を見れたが同時に地獄を見た。
そんなジェットコースターのような華原朋美さんの芸能人生。
良くも悪くも純真すぎて強さが無かったのでしょうね。
小室哲哉さんを利用するくらいの強さがあればまた結末は違ってきたかもしれませんが、それも華原朋美さんがファンから愛されるところなのでしょうね。
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