【画像】加藤茶の若い頃が菅田将暉似の超イケメン!モテモテエピソードもスゴい!

元ドリフのメンバーで知られ、年の差婚でも度々話題になる加藤茶さん。

そんな加藤茶さんですが、若い頃ってどんな感じだったんだろう?って気になりますよね。

今回は、そんな加藤茶さんの若い頃について詳しくご紹介したいと思います!

目次

加藤茶のプロフィール

名前 加藤 英文(芸名 加藤 茶)

ニックネーム カトちゃん(加トちゃん)

生年月日 1943年3月1日(2022年1月現在78歳)

出身地    東京都世田谷区

学歴 学校法人松韻学園福島高等学校卒業

身長       163 cm

テレビドラマやドリフの映画などでは俳優として活躍。

TBSのテレビ番組「8時だヨ!全員集合」で一躍人気者になり、「カトちゃんぺ」や「ちょっとだけよ、あんたも好きねえー」など、さまざまなギャグの持ち主。

志村けんさんとのヒゲダンスのコントなどでも有名です。

【画像】加藤茶の若い頃(昔)が超イケメンで菅田将暉似?

2枚目のそのルックス

こちらが加藤茶さんの若い頃の昔の写真です。

めちゃくちゃイケメンですよね!

俳優さんにいてもおかしくないその端正なルックス。

きっと女性にもたくさんモテたでしょうね〜。

めっちゃアイドル感がスゴい….汗

こちらは30代の加藤茶さんですが、年を増すごとにその大人の色気みたいなものも出てきてまた違うかっこよさがありますよね!

若い頃(昔)は菅田将暉に似てる?

また、加藤茶さんの若い頃が俳優の菅田将暉さんに似てる!と話題になっています。

たしかに、目元とか眉毛の漢字とかそっくりですね(笑)

横から見てもそっくりですね〜。

菅田将暉さんのお父さんの若い頃って言われても信じてしまうぐらいのそっくりさ。

菅田将暉さんも年をとったら加トちゃんみたいになるのでしょうか…笑

奥さんの加藤綾菜も「菅田将暉さんのファンなので、タイプはブレてないなと思いました」こう語っているように、歳をとっても加藤茶さんから感じるその魅力は変わらなかったのでしょうね。

【画像】加藤茶の若い頃(昔)を時系列で紹介①バンド時代

「渡辺弘とスターダスト」のバンドボーイ

1960年の正月に叔母に会いに上京した際、滞在中に高校中退を決断

バンドマン目指して、地元の福島から東京に出てきたんという加藤茶さん。

「渡辺弘とスターダスト」というバンドグループでバンドボーイと呼ばれるミュージシャンのサポート業務を行う裏方のお仕事を始めます。

最初はトロンボーンがやりたかったという加藤茶さん。

しかし、当時の給料は月5000円ほどであり、とてもじゃないけど買えず、そんな時ドラムさんが『坊や、このスティックを捨ててくれよ』って僕に預けたそう。

スティックの先が折れていて、『これ、削ったら使えるんじゃないかな』と思った加藤茶さん。先を削ってまだ使えると思い、『よし、ドラムになろう!』と軽いノリでドラムを始めました。

しかし、ある日手当ての100円をマネージャーに催促したところ、マネージャーに100円を投げつけられ、頭に来てマネージャーと喧嘩してクビになります。

ロックバンド「クレージーウェスト」

その後、バンドボーイの時にお世話になったドラマーのチコ菊池さんの兄のロックバンド「クレージーウェスト」のドラマーとして音楽活動をスタート

そして、クレージーウエストにメンバー入りし、のちにドリフでも一緒に活躍する仲本コージ(現・仲本工事)さん出会います。

【画像】加藤茶の若い頃(昔)を時系列で紹介②新生ドリフターズ時代

「新生ドリフターズ」結成

1962年に桜井輝夫とザ・ドリフターズといういわゆる「新生ドリフターズ」が結成されます。

そう、実はドリフターズの成り立ちは「バンド」グループでした。

そして、クレイジー・ウエストで活動していた加藤茶さんが引き抜かれます。

そして、同時期のメンバーには碇矢長一(後のいかりや長介)もいました。

桜井輝夫さんは、もともと、「音楽ができるコミックバンド」を作りたかったそうで、いかりやさんや加藤茶さんの笑いのセンスに目をつけて引き抜かれる形になりました。

NTV「ホイホイミュージックスクール」でTVデビュー

そして、ドリフターズは桜井輝夫さんがオーナー的なポジションへ変わり、いかりやさんがリーダーになました。

1964年には、仲本工事さん、荒井注さん、高木ブーさんを誘い「ザ・ドリフターズ」に改名。

1965年に本格的に活動をスタートさせました。そして、ドリフターズの初レギュラー番組『ホイホイミュージックスクール』にて、「加トちゃんぺ」のギャグが受け、一躍人気者になります。

このギャグは、「付け髭の糊が剥がれやすかったために、度々2本指で押さえていたものがギャグとして通用した」とのちに加藤茶さん本人が語っています。

純粋な音楽バンドからコミックバンドへ

そして、ドリフターズは桜井輝夫さんがオーナー的なポジションへ変わり、いかりやさんがリーダーになました。

そしていかりやさんの方針で、徐々に純粋な音楽バンドではなく、コミックバンドとして活動することが多くなっていき、テレビ寄席などでお笑いの芸を磨いていったのでした。

【画像】加藤茶の若い頃(昔)を時系列で紹介③「8時だよ!全員集合」

1969年『8時だョ!全員集合』がスタート

そして、1969年にあの伝説的番組でもあるTBS「8時だよ!全員集合」がスタート。

「ちょびヒゲ」「丸メガネ」「ハゲズラ」という日本人の笑いの定番ともいえるのを生み出したのもこのドリフターズが流行らせました。

「ちょっとだけよ」「あんたも好きねえ」などが大ブレイク

『8時だョ!全員集合』が始まったのは、1969年、加藤が26歳の頃。

「加トちゃんぺ」だけでなく、ストリップショーでヒントを得たという「ちょっとだけよ」「あんたも好きねえ」というギャグも大ヒット。

その後も、数々のギャグを生み出し1970年代前半には小学生の間ではカリスマ的存在だった加藤茶さん。

志村けん登場までは一手にギャグを受け持つドリフターズには欠かせない人物でした。

【画像】加藤茶の若い頃(昔)のモテエピソードもスゴい!

ラスベガスで豪遊

加藤茶さんの全盛期に当たる若い頃の年収を調べてみると、当時は1本1800万円とも言われる営業が毎年80本ほどあったのだそうです。この営業だけでも14億円ほどになります。年間に3、4回ラスベガスに行き、ラスベガスからロサンゼルスまで自家用ジェット機が迎えに来たそうで、ラスベガスの砂漠の真ん中で70人の美女を集めてパーティーしたそう。

このエピソードは20代であのルックスですから、当時はモテて仕方がなかったでしょうね。

「世界から集まった美女がいる。この美女を『お金でなんとかなるから』って、どんちゃん騒ぎして、全然減らなかったもん」

ラスベガスの砂漠の真ん中に2つのクラブがあり、そこから70人の美女を集めてパーティーしたが、一向にお金は減らなかったというから恐ろしい

加藤茶、ドリフ時代は札束を抱えてギャンブル大勝利より引用

フライデーに4回も不倫報道?

加藤茶さんは実は,2003年に離婚してしまいましたが、1987年の当時46歳の時に初めての結婚をしています。3人の子宝にも恵まれ、たそうですがその間にフライデーに4回も不倫報道をされています。

1993年、1997年、1998年、2004年と4回の不倫ですがどれも18歳〜20代前半の若い女性。

「嫁さんもらうなら若い方が絶対いい」と発言している加藤茶さんですが、若い頃からモテてきただけに、遊び癖は治らなかったのでしょうね。

モテエピソードといいますか、、、ただの女癖が悪いってだけですが、まあ不倫ができるのもモテるが故ということにしておきましょう・・・。

【画像】加藤茶の若い頃(昔)のまとめ

若い頃からイケメンで、お金にも困らない生活を送ってきた加藤茶さん。

きっと人の人生の何倍も楽しんできたことでしょうね。

しかし、人生の終盤を迎えてきた今、今度は多くの女性を愛すよりも今の奥さんという一人の女性を愛し最後まで添い遂げてほしいですね。

 

 

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