大人気ドラマ「科捜研の女」でお馴染み女優・沢口靖子さん。
2019年にはデビュー20周年とそのキャリアを着実に積み重ねてきた沢口靖子さんですが、その50を超えても保たれるその美貌から若い頃って一体どれくらい綺麗だったんだろう?ってつい想像しちゃいますよね。
今回は、そんな沢口靖子さんの若い頃をどこよりも詳しくまとめてみました。
沢口靖子のプロフィール
本名:沢口靖子(さわぐちやすこ)
生年月日:1965年6月11日(2022年現在57歳)
出身地:大阪府堺市西区堀上緑町出身
身長:159cm
血液型:A型
事務所:東宝芸能
18歳で女優デビューし、「元祖清純派女優」として数々の映画やドラマに出演。
そのはっきりとした若い頃は顔立ちから時代劇のお姫様役の出演が多く、CMにも多数起用されました。
30代以降は「科捜研の女」がヒットし、自身も「清純派」から「大阪人」を押し出した個性あふれるイメージの女優へ、ますます味のある女優さんへとと変貌していきました。
【画像】沢口靖子の若い頃(昔)が超美人!
こちらが沢口靖子さんの若い頃の昔の写真です。
め….めちゃくちゃきれいですよね!
パッチリと大きな目にスラっとしたその鼻はまさに誰が見ても美人と言ざるをえないそのルックス。
そして、その自然な笑顔がその綺麗さを2倍増しに引き立たせていますよね。
個人的に一番美しいと思う若い頃の写真がこちら。
「夢かマハラジャ」という題名の通り、東アジアを代表してもおかしくないほどの綺麗さですよね。
インドの衣装とメイクで撮影したものですが、沢口靖子さんの顔とバッチリマッチした一枚。
この頃はパソコンで修正、みたいなことはできないでしょうし、補正のようなものがなしでこの「美しさ」
【画像】沢口靖子の若い頃(昔)を時系列で紹介①デビュー前の学生時代
小学生時代からすでに完成されていた
こちらは沢口靖子さんが小学生の頃の一枚。すでに頃から「美形」とわかるその完成度。
当時の小学校の保健室の先生は「やっぱり違ってました」と、沢口靖子さんは当時から子供達の中でも目立っていたようです。
「とにかく光っているなっていうのが第一印象でしたね。こんなこと言っちゃいけないんですけど、やっぱり違ってましたね。(芸能人に)なってもおかしくないやろうなと思いました。目立ってました」
こちらは中学生の頃の沢口靖子さん。めちゃくちゃ綺麗ですね!
中学にはテニス部に入ったようで、かなり日焼けしていますね。沢口靖子さんは高校もテニス部に入るほど実は体育会系だったそうです。
高校時代には「親衛隊」も結成されるほどの“美少女伝説“が凄い
大阪府堺市にある進学校の泉陽高校に入学した沢口靖子さん。
入学直後から「ものすごい美少女がいる」と学内で話題になっただけではなく、下校時にはそんな彼女をひと目見ようと他校の男子生徒が校門に殺到するという異常な事態に。
沢口靖子さんの中学時代の同級生の弟が私設のファンクラブを作り、まだ芸能人でもなかった彼女の撮影会が行われたという伝説まで存在します
それらの追っかけは「親衛隊」と呼ばれ、在籍校だけではなく、最寄りの高校にも存在し、「ファンクラブ」が設立されるほどの人気だったそう。
芸能界に1ミリも興味がなかった沢口靖子さんですが、幼なじみで同じ高校に通う親友が「東宝シンデレラオーディション募集」の新聞広告を見つけ、推薦してくれたのが芸能界入りのきっかけ。
そして、この親友の誘いがきっかけで本人も「高校時代の記念に」と軽い気持ちで受けたのですが、ここから沢口靖子さんの運命はガラッと変わっていくことになりました。
【画像】沢口靖子の若い頃(昔)を時系列で紹介②デビュー当時
1984年(18歳) 第1回「東宝シンデレラ」で芸能界入り
1984年の第1回「東宝シンデレラオーディション」で3万1653人の中からグランプリに選ばれます。
この東宝シンデレラオーディションは過去には長澤まさみさんや上白石萌香さんなども輩出した伝統あるオーディション。
当時は高校3年生で書道の先生になるために奈良教育大学に合格していたそう。
このオーディションでグランプリ受賞を機に入学を辞退していることからも、本当にノリで受けていたことが伺えますね。
ちなみに、この時のファイナリストにはあの女優の斉藤由貴さんもいました。
こちらはオーディションの応募時の写真。やはり当時からその綺麗さはずば抜けていますね〜。
のちに脈々と受け継がれる「東宝シンデレラ」の清純派女優のブランド・イメージは、第1回の沢口靖子さんが作り上げたと言っても過言ではないでしょう。
1984年(18歳) 『刑事物語3 潮騒の詩』で女優デビュー
沢口靖子さんのデビューはグランプリ受賞の年の1984年。
武田鉄也さん主演の刑事ドラマ『刑事物語3 潮騒の詩』で女優デビューしました。
まだまだ垢抜けない明るく初々しい貴重なデビュー沢口靖子さんの姿ですね。
しかし、デビューから関西弁の訛りがキツくは離島の設定にしたとも言われるほど、標準語に適応するのに最初は苦労したようです。
1984年(18歳) 映画『ゴジラ』
1984年のデビューの年に出演したもう一つの作品映画『ゴジラ』
沢口靖子さんはヒロインの奥村尚子役で出演。
この作品で第9回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞するなど、本人も女優として自信をつけたことでしょう。
1984年(18歳) 「潮騒の詩」で歌手デビュー
また、先ほどの『刑事物語3 潮騒の詩』では同時に歌手デビューもしています。
ドラマの挿入歌にも使われるなど、マルチな才能もアピールしました。
1985年(19歳) NHK連続テレビ小説『澪つくし』
デビュー2年目の1985年に沢口靖子さんがブレイクした作品と言っても過言ではないNHK連続テレビ小説『澪つくし』
最高視聴率55.3%を記録するなど『伝説の朝ドラ』と呼ばれ、歴代の朝ドラの中でもベスト5に入る人気番組です。
そんなドラマのヒロインに抜擢され、沢口靖子さんの名は一躍全国区になりました。
たまたま『刑事物語3 潮騒の詩』を観ていたこのドラマのプロデューサーがチラッ出演していた沢口靖子さんを観て、「こんなカワイイ子見たことない!」と抜擢を決めたそう。
それほどまでに当時の沢口靖子さんのインパクトは凄かったのでしょうね。
1985年(19歳) 映画『姉妹坂』
同じくデビュー2年目に浅野温子と共演を果たした作品の映画『姉妹坂』
この頃から沢口靖子さんは和服姿が似合う時代劇のヒロインのイメージが定着してきました。
【画像】沢口靖子の若い頃(昔)を時系列で紹介③全盛期
1986年(20歳) 徹子の部屋
こちらは当時20歳の『徹子の部屋』に出演した際の沢口靖子さん。
まさに全盛期と言っても過言ではない綺麗さ。
すっかり垢抜けて女優のオーラがすごいですね〜。
まさに鬼に金棒、とびっきりの美女がメイクやヘアスタイルも覚えたらここまで綺麗になるんですね。
1989年(23歳) ドラマ『さよなら李香蘭』
1989年の23歳の時に出演した、沢口靖子様主演版のドラマ『さよなら李香蘭』
戦前から戦中にかけ人気歌手・李香蘭となった山口淑子の半生を描いた物語であり、かなりハマリ役でした。
デビュー当時は思いっきり大根よばわりされていた沢口靖子さんですが、「澪つくし」のヒロインを経て、この「さよなら李香蘭」では更にひと皮むけた感がします。
1989年(23歳)CMにも多数出演
また、この頃から沢口靖子さんは多数のCMにも出演し始めます。
沢口靖子さんと言えば、この「RITZ」のCMが有名ですね。
1988年のこの頃から長年にわたって出演し、今や「RITZ」といえば沢口靖子さんのイメージが強いですよね。
沢口靖子さんは「美形」「自然な笑顔」「明るい」そんな一目見てわかる抜群に良いイメージなので、企業もCMに起用しやすかったのでしょうね。
1991年(25歳) ドラマ『ホテルウーマン』
こちらは1991年の25歳の頃に出演したドラマ『ホテルウーマン』
主演の神尾柊子役で出演しました。
25歳にもなり、大人の色気が出てきた沢口靖子さん。
この頃から清純派美少女というイメージから変化してきましたね。
【画像】沢口靖子の若い頃(昔)を時系列で紹介③30代〜路線転換期
1999年(34歳) ドラマ『科捜研の女』シリーズがスタート
沢口靖子さんの「代名詞」とも言えるドラマ『科捜研の女シリーズ』シリーズ。
当時34歳と年齢も30代半ばに差し掛かり、デビュー当時の「清純派女優」というルックスや見た目だけではなく「演技力」が試される年頃。
そんな沢口靖子さんにとってまさに、抜群のタイミングで始まったドラマとも言えるでしょう。
この『科捜研の女シリーズ』は沢口靖子さんにとって大きな「ターニングポイント」でもあり、真の「女優」として自身も成長する大きなきっかけとなった作品でしょう。
2000年(35歳) CM 金鳥「タンスにゴンゴン」
そして、「清純派女優」沢口靖子さんがというイメージが大きく変わってきたのもちょうどこの頃。
金鳥の「タンスにゴンゴン」のCMでは、田中眞紀子風の政治家。
マリリン・モンロー風のセクシー歌手、泉州弁で毒舌を吐く汚れた雛人形やパンクロッカーなどに扮して出演するなど、おちゃらけた癖の強いのCMにも多数出演。
デビューからずっと封印してきた「大阪色」を前面に押し出した印象をどんどん世間に出していきます。
しかし、これは、「路線変更」というよりも、生粋の大阪人である沢口靖子さんにとって、これこそが本来のありのままの姿であり、「素」を表現するようになったにすぎません。
女優としてさらにステップアップするには、作られた自分ではなくもっと「個性」を押し出す必要性を感じたのでしょうね。
──やはり関西出身なだけに、沢口さんにも笑いのDNAが流れているのでしょうか?
沢口靖子 ええ、もちろん。関西では新喜劇は生活の一部にありましたから。ですので、本来の自分を180度転換して、新たな自分を表現したわけではなく、元々持っていた部分を少し誇張して表現しただけなんです。
デビューから「一人歩きした虚像を必死で追いかけている感じがした」こう語る沢口靖子さん。
デビューしてから一区切りついたところで、一度立ち止まり『本来の自分らしさ』を表現していく大切さに気づきだしたのもちょうどこの頃なのでしょう。
──デビュー当時、清楚なお嬢様イメージを窮屈だと感じたことはありませんでしたか?
沢口靖子 そのイメージを窮屈に感じることはなかったのですが、デビューしてから、自分の名前やイメージが1人歩きして、本来の自分よりどんどん大きくなって、私自分もその虚像を必死で追いかけている感覚がありました。
【画像】沢口靖子の若い頃(昔)のまとめ
若い頃から女優として第一線を走ってきた沢口靖子さん。
歳を取るにつれ、女優としてその魅力が増すその姿こそが彼女の魅力でしょう。
これからのご活躍も期待しています!
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